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「応援、してほしかった」の先にあったもの。

ソロシンガーとして、活動していた頃のこと。
とある内輪のライブがあって、参加した時。
一番応援してほしかった人が、私には何の言葉も
なかったのに、ある1人のシンガーを
「全力で応援したい」と言っていた。
ショックだった。

既婚子持ちでの活動とは言え、私だって
頑張っていた。
曲も、20曲弱作った。
夜のライブは難しいことが多かったので、
週末昼間のライブには、参加できる時には
参加した。
ワンマンも、自主企画ライブも行った。
シンガーとして、できるだけのことはしてきた。
なのにどうして?私のことは応援してくれないの?
私の中に、悔しさと悲しさが込み上げてきた。

同時に、私は音楽を始めた動機が不純だったから、
応援してもらえないのかもしれない、
そう思うようにもなった。
私が音楽を始めたのは、音楽活動を
開始する前、いろいろなことで
悩んでいた私のことを、
「重い」とか、「ついていけない」と言って
見捨てた人達を見返すためだった。
あんなにいろいろなことで悩んで悩んで、
それでも答えが見つからなくて、
そんな自分を受け止めてくれなかった人達に、
私の凄さを証明したかった。
「逃した魚は大きかった」
「マーサと仲良くしておけばよかった」
「あの時、もっと優しくしておけばよかった」
と、後悔させてやりたかった。

そんな気持ちで音楽に向き合っていたから、
一番応援してほしかった人からは、
「全力で応援」という言葉までは、
引き出せなかったのかもな、と思った。

数年後、
私から離れていった方のうち1人から
メッセージがあり、その際に私の音楽活動について
話したら、
「頑張っていますね」
と返信をいただいた。
永年の葛藤が、凍りついていた心が、
すーっと楽になった。
すごく、報われた思いがした。
と同時に、音楽活動に対する気持ちも
すっかり落ち着いてしまった。

言い換えれば、私の音楽に対する思いは、
「離れていった人達を見返したい」
そこから昇華できなかったということ。
だから、かつて私から離れていった人から
認めてもらったら、それで満足してしまった、
ということ。
自分の音楽で、きっと救われる人がいる、
ということまでは、考えが及ばなかった
ということ。

例え趣味であっても、音楽活動を続けるには、
自分のために表現することと同時に、
「このメッセージが伝われば、聴いてくださっている
皆さんが幸せになれる」という、「三方よし」的な、
確固たる理念も必要だと思う。
音楽活動が続いている人達は、みんなこうした
理念をお持ちである。
最初の入り口としては、「モテたい」だったり(笑)、
私のように「今に見ていろ!」的な思いを
原動力にするのもいいけれど、息長く活動するには、
「ジョブ・クラフティング」(自分なりに仕事の意味を
再考して、仕事の仕方を工夫すること。この記事の
中では、「仕事=音楽活動」と読み替えて
ください)のような手段を取り入れたりするのも
有益だと思う。
私はそこまで辿り着いていないし、今後もどうなるか
わからないけれど、今の状況が落ち着くまで、
じっくり考えていこうと思う。













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