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頑張ろう三唱

元来リーダーシップはまるで無いのだが40代に近づいた頃にいろんな組織の部長を任される事になった。
 年功序列の順番が1番上にきたので仕方なく引き受けるというパターンが多かった。率先してやりたがる人の気が知れないと当時も今も思っている。
 
 部長はその組織や団体のトップとして活動内容を決めたり、会議を開いたり、他団体と交渉したりするのが主な務めになる。が、時として様々な依頼が舞い込んで来る事がある。

 そのひとつに選挙協力がある。任期中に選挙が行われ無ければ依頼が来る事は無いのだが、自分の任期中は数回あったので運の悪さを呪った。
 組織への依頼はポスターを全員で分担して貼ったり演説会場へ全員で駆けつけたりの協力なのだが、部長には選挙初日の朝、出陣式の最後の締めの『頑張ろう三唱』の音頭を任される事がある。
 平部員の時に歴代部長がやっているのを数回見てはいたので覚悟はしていたが、本当に自分がやる事になるとは夢にも思っていなかったので依頼された時に困った事になったと思った。
 当日は部員にも動員をかけるので部長として無様な姿は見せられないし、組織の評価も下がる事に繋がると思うと失敗は許されない。

 苦戦が予想された衆議院議員選挙だったが出陣式には支援者や支持者らが100名以上集まっていた。
 応援演説が数名、候補者の出陣演説と続き、最後に自分が壇上に呼ばれた。

『皆さん、今回の選挙はご存知の事と思いますが大変な逆風の中での選挙になっております。
 ただ海に浮かぶヨットは、逆風の中にあっても上手く風を帆に当てて舵を切れば前にも進む事が出来ます。ここにお集まりの皆さんでこの船を国会まで運ぼうではありませんか!
 それでは皆さん足は肩幅に左手は腰に右手を上に〜頑張ろう!頑張ろう!頑張ろう!ありがとうございました』
 と、やって候補者と握手をして、なんとか無事に壇上から降りる事が出来た。
 
 まあ選挙結果は逆風跳ね返せず惜敗したのだが比例復活で当選の運びとなりました。
 この後も県知事選挙の演説会の『頑張ろう三唱』を任されたのだが、前回の国会議員とは話した事もあったのだが、県知事とかは全く面識もないし当選確実な情勢だったのもあったので、当たり障りない話をして卒なくこなしたのでこの時の内容は覚えていない。
 結果は勝利で、『頑張ろう三唱』では1勝1敗の五分になった。

 この一件以来部員の部長を見る目が少し変わったので良かったかなと思った。部長の威厳は保たれたってやつだ。

 この話を思い返していると、あの頃は慣れないリーダーを頑張っていたなと自分ながらに思う。

 そして今、自分自身に『頑張ろう三唱』を唱えて、もう少し頑張ってみようかと思った。


 


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