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とある町の小さな小売店3

実家に戻り家業を手伝い始めた時期に、業務で使用していた帳簿や請求書、納品書、見積書など全てが母の手書きだった。
 勤めていた会社にはサーバーが数台置いてある電算室とかいう部署もあったので、比べる訳ではないが、流石に変えなければいけないだろうと思い、手始めに簡単な帳簿システムを探して、機械化する事にした。
 導入後は母も使い方を覚えてくれて、なんとか手書きの時代から脱却する事が出来た。この件は自分が帰ってきていなかったら、実現していなかったのかもしれないので、提案できて良かった改革のひとつだと思っている。

 23歳から32歳で結婚するまで、自営業のある意味での自由さを活かしながら、先輩達との飲み会や友達との旅行や、趣味にスポーツにと仕事と両立しながら楽しく過ごさせて貰ったなと、この頃の事を思い返している。
 それが可能だったのは両親から私用の時間をそこそこ貰っていたからだった。用事がある時は仕事を両親に任せて、比較的自由に動けたので今振り返ると感謝しかない。
 その後も、いろんな組織の長を任される事になるのだが、両親の協力無しでは務まらなかったと思っている。

 仕事にも慣れて、すっかり地元の人となった頃に店舗の改装の話が出てきた。

 街並みの外観を統一して商店街の魅力を上げて集客アップを狙う計画が立ち上がり、商店街全店舗でやろうという話だった。外観だけの変更なら補助金がかなり出るので、負担金はそこまで無かった事もあり事業は前に進んだ。
 
 この時、一部改築はしていたが木造の住宅兼店舗は老朽化が進んでいた。将来を見据えて、どうせ取り組むなら、このタイミングで外観だけでなく、今の住宅兼店舗を取り壊して新築しようという事を家族で決めた。
 新しい店舗のコンセプトを考えたり、仮店舗で営業していたり、店舗ロゴをデザイナーと考えたりとかは覚えているのだが、計画が始まって新店舗が出来上がるまでの記憶があまり無いのは忙し過ぎたのかもしれないが、オープニングセールが大成功に終わった事は今も覚えている。

 この時にPOSレジやPCも本格的に導入する事が出来たので、今後数十年を見通せる体制が整ったと思ったし、修復が必要な点もチラホラ散見するが現在も変わらずに営業出来ている。

 結婚してからは妻も一緒に働いてくれるようになった。明るい性格ですぐにお客様に気に入って貰って、いい人が見つかったねと、沢山のお客様から褒めてもらったのを今でも誇りに思っている。
 4人で働く事になり大変な事もあったが、楽しい時間の方が多かったと思う。空き時間に妻と店内でビーチバレーで遊んだりしていた事は忘れようにも忘れられないエピソードだ。子供にも恵まれて30代全般は順風満帆だったと思う。
 
つづく
 
 
 
 
 
 
 

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