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“利回り”だけでは、人は動かんぞ!と思ってるんだが…、違うかな?w

おはようございます、Martです。
世に言う“利回り”ってのが、今ひとつわからなくなり、ちょっと辞書をひいてみました。

利 回り(りまわり)
・収益や利息の、元本に対する割合のこと。

※ウィクショナリーより

シンプルに、元本に対する利益の割合、ですよね。

投資物件の利回りはすぐに計算できるのですが、
その数字が「3%が少なくて、6%だとOK、10%だったら万々歳!」みたいな会話をよく聞きます。

でも、これって、“何に投資するか”によって、ぜんぜん違ってくると思うのですが、どうなんでしょう?

そう、「リスクとの兼ね合い」がありますからw。

「ビジネスにリスクはつきもの」

毎月決まったお給料をもらっているサラリーマンの方々にはあまりピンと来ないかもしれませんが、その会社を運営している経営者の皆さんだったらすぐわかると思います。

そう、どんなビジネスにも、リスクはつきもの、という事。

サラリーマンでも営業職の人にとっては切実な課題かもしれないですね。
利益を上げるには、それなりの“元本”が必要です。
元本割れ、は即「ビジネス失敗」とみなされますから。

この辺りをこれ以上詳しく話始めると、きっとぼくの脳みそではきっととっ散らかってしまうので、このくらいにしておきますが、
単純に“利回り”だけで投資物件を選ぶと、そのリスクの暗黒面が襲ってきて、思わぬ“痛い目”に合うこともありそうだぞ、という点を知っておくことが大切ですね。
火中の栗を拾う必要があるのかどうか、はよく見極めたほうがよいとおもいます。

だから、たまに「利回りの争い」に巻き込まれ、窮地におちいった時には、
細かいリスクの観点から反論を組み立てるのも良いかと思ったしだいw。

なんか、脈絡のない話で申し訳ありませんが、そんなことが最近あったもので、ちょっと気になって調べてみました。

投資物件によってもぜんぜん違ってくる

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利回りの話をする際、その投資先が「不動産」なのか、「金融商品」なのかによっても、この辺りは大きく変わってくる、というか、「並べて話すこと」自体が難しいですね。

ただ、「(なるべく効率よく)利益を上げる」が最終的な大目的であれば、どちらでも同じで、単に“素材の違い”ということになると思います。

それにしても、不動産も金融商品も、中を見ていくとそれこそ無限大の分岐点があるわけで、その中の“何”に“いくら”、“何時間”投資するかの判断は、一筋縄ではいかないと思います。

だから投資は難しい…^^;。

試行錯誤(ある程度の損も含む)の末、自分なりの“正解”を見つけていくしかないでしょう。

投資物件の中には「人」への投資も含まれますね。

もちろんその人の目指す事業の内容や革新性、実現性も加味して考えるのですが、やはり「人柄」だとか「人望」、あるいは単純に「スキ・キライ」などが最終判断に影響を与えることになるでしょう。

そう、「投資」も人がおこなうものだからです。

人に対する投資は、利回りがわからない…

利回りをベースにビジネスを組み立てる経営者は、かなり多いと思います。

理由は、わかりやすいから。

許容範囲の利回りとリスクであれば、瞬時の経営判断が可能となります。

ただ、人に対する投資は、なかなかそうは行きませんよね。
第一、利回りもリスクも、全く計算できないのだから、
「これは行けそう」と判断する基準にはなりえないのです。

だから、「人に対する投資」をおこなうベンチャー・キャピタルなどは、
投資に際し、めちゃくちゃたくさんの調査をします。
そのためのお金も時間も人も、たくさん使います。

それだけのリターンがあることに確信が持てない限り、投資にGOサインは出さないのですね。

最終的に“利益”を出すための準備を行いますし、投資した後も、役員や監査役を送り込み、ガッチリと管理していき、目標の利回りを実現しようとします。

ビジネスなどですから、当然ですよね。

ただ、本当の意味での“人への投資”は、どうなんでしょう?

その人のファンになること

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先日ぼくが感じた“人の価値”については、下記に書いてます。

「価値」は、人と人の間に生まれるものだから、
「当たり前」のことを的確に行っている人間は、
それが出来ない人にとっては、「価値のある人」と受け止められ、
尊敬され、“ファン化”していきます。

そして、マネタイズが出来る“プロフェッショナル”と呼ばれ、目標が達成されるのだと思います。

やはり、「当たり前のことが当たり前の出来るプロ」になることが大事なのかな。
そうすれば、結果は自ずとついてくる。

そう思ってますけど、どうでしょうか?(*^^*)

人としての“利回り”?

人がそれまで生きてきた“コスト”を計算しても、その環境に依存することが多すぎて、算出は難しいし、成し遂げたこととの対比を考えることは、あまり意味がないでしょう。

それまでの“コスト”を数えるよりも、成し遂げた“成果”を積み上げることが大切ですし、それに基づき、今後生み出すであろう“成果”に目を向ける方がより価値のある作業だと思います。

ではなぜ、これほどまでに“利回り”という言葉が世の中に溢れているのか?

モノの価値を図るには、簡易的でわかりやすい。

その継続的な運用に関するアイディアとか、可能性などを加味しているか?
世界的な潮流や、自然現象、科学の進歩と人々の生活の変化などの要素は?


などなどを考えると、「利回り」という一点で話が終始してしまうことに、大きな危機感を覚えるのは、ぼくだけでしょうか?

「価値」という本質的な議論は、もっと深遠なものだと思うのです。

人の可能性を信じ、人に投資していくことが、会社や社会、国や世界といった多様な視点の中でいかに重要なことか、を今一度考えてほしいなと思います。

ではまた!

※今日のエントリーは、なんか途中から特定の人物が頭の中をくるくる回り始めたもので、ちょっと意図したものとは違っちゃった感が満載ですので、そのうち消すかもしれません…(*^^*)。

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