何かを成し遂げる他人と、何も無い自分

これはコラムでもエッセイでも何でもないただの僕の思いの吐き出しです。お目を汚すことになると思うし、時期にこのnoteは恥ずかしくて消える事になると思います。

  コロナ禍に入ってから外を出歩く理由も何も無くなり、よく眠れなくなってきた事でこんな仕様のないことばかりを考えてしまう。

よく自分には何があるだろう って思ってる。勉学に励んでいるかとか。筋力が優れているかとか。何か特筆出来るような才能を持っているかとか。
辛い物からはさっさと逃げてきた性分なので、努力なんて自分の中に5%も含まれてたらいい方なんじゃないかって思う。全部をのらりくらり生きてきたツケが齢18にして回ってきているのかもしれない。

  こんな事を考えるのは今までも多かった。思えば初めてこの得体の知れない不明瞭な「不安」という感情と付き合う事になったのは、中学から高校に進学する時。今まで周りと同じように小学校から進学し、周りを見ながら悪目立ちしない程度に程々に過ごしてきた自分は、高校受験の時にこの気持ちに悩まされる事になった。

  周りを見てるとみんな知らないうちに漠然と自分のやりたい事ややるべき事を見つけ、道筋を立てて歩いていた。周りの表面を何となく見て合わせてきた自分からしたら大事件だった。自分の先行きだけが不安な気がしてならなかった。

  その気持ちは将来への不安となって自分の後ろを着いて歩いてきていた。のしかかってきた、重圧になったっていう表現は大袈裟だと思う。だけど確かに不安は常に感じる事のひとつではあった。周りは自分のやりたい事を見つけているのに、自分だけがフラフラと進路を決めれずにパンフレットを眺め続けていた。周りと違って何も自分で決めれない自分に心底呆れていたし、嫌悪感も湧いていた。

  小さい頃から他人 周りと違う事が嫌いな人間だった。保育園の頃に子供ながらな可愛い唇を鏡で見た時、「体操のカッコいいお兄さんはこんなに分厚い唇ではなかった」とハサミで唇を切り取ろうか真剣に悩むほどには中々おかしな子供だったことを覚えている。

  小学校の頃には周りの目が気になり、列に並んだ時や電車に乗る時は周りの目が気になるような子供だった。あそこに座っている女性に白い目で見られているのではないか。後ろに並んでいるあの人、今笑ったけどもしかして僕の事を笑ったんだろうか。という事ばかりが恐怖だった。他人と合わせ、下手に目立たないようにする事には神経を使った記憶がある。

  こんな変な事ばかり考える子供だったので、周りとは絶対にズレていたし浮いていた。その影響もあり、今はまだマシになった方ではあるが中学時代の友達とはほぼ連絡を取っていない。損な人生とも言えると思う。

  とどのつまり潜在的にずっと持っていた不安という感情と、これから自分はどのように付き合っていかなければいけないのだろうか。という事だ。いい加減成人だ。通帳や保険証 免許証は自分で管理し、お金の動かし方も決めるように意識しだす明確化された節目。自分の中にいる感情との付き合い方も、ぼちぼち考えていかなきゃいけない年齢だな〜と思い始めている。

  不安だけならまだ良かった。彼とはもうかれこれ10年以上の付き合いにはなるし、上記のような考えも持って自分の中で折り合いも付け始めてきた頃合だった。

  ただ、自分はのらりくらりと全てから逃げ続けても、環境は決して一切の妥協を許さなかった。

  具体的に言うと旧友と数年振りに遊びに行った時だったか。高卒で働いてたり、大学で日々自分の学びたいことを学び、生き生きと謳歌している先輩。これから先の就職の為に色々なところを走り回っていたり、真にやりたいことを見つけ大学進学を目指している同期生。皆とても楽しそうで何よりだったが、共通して言える事は変化していると言うことだった。

  数年ぶりに深堀りした話をした訳だから変化は当たり前だが、そんな当たり前に順応できていないのは自分だけだった。

  ふと周りを見た。あの時はただの一般だった父は人をまとめる立場になりつつある。あの時に仲良くしていた彼は世界を獲った。あの時は再生回数何万回だった歌い手も、今では国民的アニメの主題歌を歌う程だ。

  周りは変化に順応し、継続し、進化をし続けている。その場で足踏みをし続けて何の成果も挙げず、疲れましたね〜と適当ぶっこいてるのは自分だけだった。
 
  明らかに社会に置いていかれ、無事に不適合者として日々通院し薬を服用している自分だけが周りとは違う。不安だけではなく焦りがメンバーに加わった事により、僕は夜寝る前や移動中にこのような事ばかり考えては寝れずに電柱に頭をぶつける日々を送っている。

  自分はよく頭の中の自分とそれを見る自分を分けて考える事が多い。真の自分を第三者的な目線から見ることで、自分が何を考え、何を主として行動しているかを俯瞰的に考えることが出来る良い癖だと思っている。セルフセラピーだかセルフメンテナンスだかは知らないけど。それを僕の足りない頭でいちばん手っ取り早く行えるのは、文字に起こしてみるという方法だと思う。

  今回試しにこのように2000文字程で行ってみたが、自分がどんな感情でどんな事に悩んでいるかを知る事ができた。

  何もしていないと思っていたが、現に僕は今将来やりたいことを見つけて進んでいる最中だった。人生まだまだ長いし、何も焦ることは無いだろうという結論に収まった。だが、これから先も暫くはこの不安と焦りは度々感じる事になると思う。

  自分の中の葛藤は、解消する事を目的とせずに知って寄り添うことが、最善になることもあると考えている。

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