凡才になる自分

お久しぶりです。

また恥ずかしい文章をつらつら垂れ流します。ご容赦ください。

最近、自分が自分じゃなくなっている。自分を見失っている。

日々の生活は順調そのものと言っていいと思っている。客観視してなんだかんだ上手くやれている。

今日も学校だった。前期サボらず通った分出席にかなり余裕があるので、所々手を上手く抜きながら出席している。

今日は放課後にクラスメイトと発表会について打ち合わせもした。中学時代学年に馴染めず、明らかな腫れ物と化していた自分からしたらとても成長と言えると思う。

バイトにも通っている。やることをぼちぼちやれば怒られないし、時給もいい。客層もいい感じで、不満は全くないと言って過言では無い。

家に帰れば愛する彼女が暖かいご飯と明日のお弁当を準備して待っている。頭が上がらない。
親とのコミュニケーションも良好だ。

だが、自分からなにか無くなっている気がする。最近無性に寂しくなり、心が落ち着かない。正直、ゲームに必死になっていた頃が恋しい。

数日前、諸事情でウメブラをキャンセルした時に、とても大きな喪失感があった。ほんとに心におっきな穴が空いた気持ちだった。
あの頃ゲームに必死になって頑張っていた自分が死んだ瞬間だった。もう僕はプレイヤーでは無い。プレイヤーでは無い僕は、ここ数年人のフリを勉強して完成した、ただの他人を不快にさせないだけの人みたいななにかだった。

正直、まだ前のノートで書いた気持ちは変わっていない。まだ周りの目が気になり、駅を歩く時に落ち着かない。ヘッドホンがなければ、メンタルが死んで耐えられない事もあるかもしれない。あれから1年経ち19歳になったが、彼とはまだ関係が続いている。これからもやっていくつもりだ。

プレイヤーとしての自分はギラギラしていた。こんな他人の目を気にするような、クヨクヨした人間なんてどこにもいなかった。
最近自分の動画を見返す。宅オフの動画。意味もなくダラダラと見続けている。最も自分が自分らしく生きれていた時の映像がインターネットのどこかに残り続けてくれるのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。不幸なんかでは無いかもしれないが。

前のノートで書いた、自分だけが前に進んでいないような気持ちはほぼ無くなった。だがその代わり、過去に何かを忘れてきてしまったのかもしれない。
その何かが僕の人生に張りを持たせてくれていたんだと思う。
大会に参加することは、僕の生き甲斐だった。以前のウメブラで2000越えの相手様にアップセットを起こしたあの喜び。数年前の篝火で皆でお泊まりした時のこと。世界最強が決まったあの瞬間をこの目で見た感動。生き甲斐そのものだったのかもしれないと真剣に思っている。

そんなものを失った僕は、本当に面白くない人間になってしまった。
なんの取り柄もない、誰にでもできる事をし続け、世間のご機嫌取りをしながら生きていく、他人を不快にさせないだけの生き物。
普通の人になれるようにしていた。やっと上手く社会に馴染めている。嬉しい気持ちももちろんある。

いつの間にか、「好きな物は?」という問いに、満足に本当に好きな物を言うことさえできなくなってしまった。なんと答えればバカにされない?なんと答えれば周りから浮かない?なんと答えれば話題が上手く広がる?そんなことばかり考えて、本当に自分が好きなものを押し殺している。その度に、自分が死んでいく気がする。

なんのために生きてるのか分からない訳では無いが、何をしたくて生きてるのかが分からない。ただ毎日課題に追われて生きているだけ。

また一年経てばこの気持ちにも答えが見つかるのだろうか。前のノートでは自分の気持ちと向き合い解決出来たが、このノートでは解決できなかった、と言っていいと思う。

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