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#いまから推しのアーティスト語らせて#aikoさんはいつまでもあたしの光

推しのアーティストと聞いて、書きたいアーティストはたくさん浮かんだし、本当は音楽を作る身としては自分自身の曲を推したいところだが(笑)、私の人生のうち15年間いつでも胸の真ん中にいてくださる、aikoさん以外を書くことは出来ないなと、さっそく迷わず筆を執ります。愛が暴走しそうだけど。

私がaikoさんを聴くきっかけになったのは高校1年の冬、今でもよく憶えている、風呂に入ろうと脱衣所で服を脱ぎながら突然に「カブトムシ」のサビが頭から離れなくなったのだ。
それまでの私の音楽との向き合い方は正直、歌詞を読み込むような聴き方はしていなかった。aikoさんのことはもちろん知っていたが、小学生の頃CDショップで並んでいるのを見たり、「ボーイフレンド」を友だちの家のカラオケのおもちゃで歌ったりした程度で、見事に通り過ぎて16歳まで来てしまったのだった。
当時私は姉と、TSUTAYAであれこれ借りることにハマっていて、こじらせ過ぎて「青春歌年鑑シリーズ」を聴きまくったりいろいろ手を出していたのだが、その神のお告げ的洗礼事件から、aikoさんのアルバムをごっそり借りて、どっぷり聴くようになる。ちなみに私の高校時代はMD時代の終盤、すぐにダウンロード主流へと移っていったのだが、前にも違う記事で書いたけれど私はカセットテープユーザーだったため、初めて借りた「桜の木の下」はカセットで聴きまくった。もし今のスタイルで聴いていたら、シャッフルにしてしまってたかもしれない、でも当時の私には曲を飛ばすという行為が出来なかったので、いつでもアルバムの始まりから終わりまでを、流れで聴いて身体に染み込ませていった。

aikoさんを聴くようになってから、音楽への向き合い方がガラリと変わった。歌詞に思いの強さやオリジナリティを求め重きをおくようになった。ぼんやりと「aikoさんの歌詞が理解できるようになったのは、大人になったからだ」というみずからの成長の自信も感じながら(笑)。休日家で過ごす時、部屋でひざを抱えて歌詞カードをじっくり読みながら、aikoさんの曲をずっと聴いている時間が何よりも、幸せだった。(aikoさんのリリースした楽曲は全部、歌詞カードを見なくても歌える。呼吸と同レベルに出てくる)

やはり「カブトムシ」は擦り切れるほど聴いた。歌詞も何度も何度もノートの端に書いた。私は物心ついた頃には曲をなんとなく作っていたのだけど、「1番AメロBメロサビ、2番AメロBメロサビ、大サビ、ラストサビ」という流れが主流だという固定観念があって、この曲は「1番AメロBメロサビ、2番AメロBメロサビ」で校歌のようにシンプルに終わるので、そこにまず感動した。カッケエエエって思って、本当に言いたいことだけで作る曲って、こんくらいシンプルでいいんだ、ダラダラと付け加える必要がないんだ、と知った。それから時々、この構成を意識して曲を作る時があります(笑)。
特に2番のAメロの歌詞が好きでその言葉選びに酔いしれちゃって。aikoさんの四季の表現はいろんな楽曲で出てくるけど、どれも本当に素晴らしい。

「カブトムシ」
鼻先をくすぐる春 リンと立つのは空の青い夏
袖を風が過ぎるは秋中 そう 気が付けば真横を通る冬

約束
桜色の花火 朱色のコート
ホーム
桜も夏もひつじ雲も雪の朝も
あなたと何度もこの窓から見た景色の色
「花火」
そろったつま先くずれた砂山かじったリンゴの跡
残るものは思い出のかけら
少し冷たい風が足もとを通る頃
笑い声たくさんあげたい」

なかでも「花火」の、「そろったつま先」は春、「くずれた砂山」は夏、「かじったリンゴの跡」は秋、「少し冷たい風が足もとを通る頃」は冬だと気づいた時の感動は、今もまだ続いている(解釈が間違っていたら申し訳ない)。
ありふれた言葉で出来た歌じゃない、ここにしかない、aikoさんがあの日あの時紡ぎ出した言葉の唯一無二の輝きが散りばめられた歌。aikoさんを聴くならば、歌詞カードを見ずに聴くことは、オススメしない。
また、「なんとなく聴いてたら今の歌詞、私が思ってた気持ちそのものだ・・・私はこう言いたかったんだ・・・」っていう感動がaikoさんの曲には多いと思う。人生の様々なタイミングで、刺さる歌詞がそれぞれ違って、寄り添ってくれる曲が移り変わっていく経験を、今もしている。

私は音楽を作っているくせにほとんどカンでやっているふしがありコードも何もちんぷんかんぷんな人間なので、多くのミュージシャンたちや音楽関係者のように、aikoさんについてメロディの点で語ることは出来ない。だけどaikoジャンキーになってから初めて出たシングル「スター」については、ファンになることを後押しした感動があった、ということだけは書いておきたい。「スター」は、映画「あらしのよるに」の主題歌で、あたたかくも儚げなバラードである。派手さやキャッチーさは低めで、いわゆるスルメ系かもしれない。
A、Bはメロディが細かく動くけど、サビのメロディラインがとにかくシンプルだと私は思う。けれどもドラマチックで壮大で、あのシンプルな音の上下でここまで美しい歌が出来るなんて、初めて聴いた私はこれまたいたく感動した。こんな歌が作りたいと、今でも私の創作の上空高く、光っている曲。このシングルはカップリングとともに一番聴き倒したと思う。「スター」「蝶の羽飾り」「こんぺいとう」の3曲は今でも思い入れが強い。あとジャケ写のaikoさんがレアな横分けを披露しておりこれもまたたまらない。aikoさんは造形が芸術。髪の先、爪の先まですべて美しいよね・・・・

それからというもの15年間、aikoさんの曲はもちろん、ファッションも生き方も言葉も、すべてを見つめてきたうえで、ひとつ大事なことがあると最近思う。
失礼な言い方にならないか、気を悪くするファンがいたら申し訳ないけれど、aikoさんが今のように素晴らしいアーティストでいてくださるのには、本人の努力や才能のほかに、周りで支える関係者の方々の力が偉大だということ。例えば、aikoさんが今迄の関係者に出会えないまま、ずっと個人で弾き語りで歌い続けていたとする。どんなに素晴らしい名曲も、美しくて可愛いaikoさんのファッションもイラストも、たった独りで表現し続けては多くの人には届かない。けれど、aikoさんの音楽性を、センスを、素晴らしいと惚れ込み誰よりも良さを分かっている方々が、aikoさんの周りで支えてきたからこそ、今のこの状況があるのだと思うのだ。もちろんどんなaikoさんでも私は好きになっていたと思うけど、そもそも知ることすら出来なかった可能性だってある。
誰かと手を組んで何かを作ること、すごく難しいと思う。その人の良さをどう活かすか、殺さずに昇華できるか・・・音楽性もそうだし、写真撮影だって、たまに「この人なんでこんな撮り方しちゃったの!?」って思ってしまうほど魅力を引き出せてない場合も悲しいかな存在するものだ。aikoさんの場合、その全てがめちゃくちゃ活かしきれている、その奇跡がマジ奇跡(ついに語彙力が)。
それは携わる周りの方々がaikoさんをとても愛していて、惚れ込んでいて、理解しているからだと思うし、他でもないaikoさん自身が、才能の塊であると同時に、誰からも愛される人柄であるからだと思う。aikoさんはアーティストとしてご自分を表現されて愛されているけれど、そもそもの人間性が好かれているのだ。こちらが心配になるくらい緊張しいで自信がないってしょんぼりしたりくよくよしたり不安になったり、それ故いつまでも涙が出るくらい謙虚で、努力家で、誰かを思い遣る心が人一倍で、ちょっと嫉妬深くて、寂しがりで、愛を求めているぶん大事な人たちにあげる愛はめちゃくちゃ大きくて。これ読んだだけで、好きになっちゃいそうじゃない?(笑)

名前の通りaikoさんは多くの人に愛される為に生まれてきたのだと思うし、たくさんの愛を伝えるために存在しているんじゃないかと思う。私はaikoさんのことを、長く知る友達くらいの感覚でいつも心のどこかで想っているし(かといって絶対面と向かって喋る自信マジでない、号泣して終わると思う)、例えば何かがあって歌えない日が来たとしても、関係性を終わりにしたくないし、もしかしたら私より少し先を生きるaikoさんは白髪の似合う歳になったら、めちゃくちゃ真似したくなるようなどちゃくそお洒落なおばあちゃんになってファッションを披露してくれるんじゃないかとか、いろんな未来を考えてaikoさんと向き合っている。それだけで私の人生は鮮やかになるし、愛で満たされる、失うことの出来ない大切な存在なんです。

音楽の話からめっちゃ逸れたけど、つまりはaikoさんを聴くならば、是非本を読むように歌詞に触れてほしいということ、そしてaikoさんという人の内側を感じながら聴いてほしい、ということです。そうじゃないと、もったいないと思うから。そしてそんな風に聴いたあかつきには、きっと、めちゃくちゃaikoさんに恋しちゃってると思います(笑)。


#いまから推しのアーティスト語らせて

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