成長したこと

人間には誰しも自分の話している事を理解してもらいたいという根本的な欲求があるようでして「こいつ自分の話しかしてねえな、つまらんな、、、」って人があなたの周りにいませんか?(話の内容が面白いなら存分に話して欲しいですが。)聞いてもないのにこちらの態度なんか気にもせず、ひたすら話続ける人。そんな人とは関わりたくもないですね。だって話してても楽しくないから。

自分の高校時代や大学1回生はそんな感じで自分の話しかしない人間でした。

けど、最近変わったように思います。

何故なら、人の話を聴く事に楽しみを見出してこられるようになったからです。

人の話なんてそんなに興味がなかった自分からしてみれば、考えられない事です。

ですが、大学2回になった辺りから、色々あって人の気持ちを考えたり人の話を聞く事を大切にしよう!となりました(僕にとって人の話を聞く事=人の気持ちを考える事です)。とは思いつつもなかなか意識だけでは変わらない日が続いていました。

けれども、自分が人の話を聴くのが本心から楽しいと思えるきっかけとなる言葉がありました。

それは「人間なんて所詮自分の為に行動するし、100%人の為に行動するなんて人間として歪である。」という友人の言葉でした。

人の話を聞くとか人の気持ちを考えるとか、自分の考え方からするとどう考えても自分が好きになった異性にしか動機が及ばない事で、それ以外の友人に対して耳を傾けるなどそんなに面白くありません。これが、自分が人の話を聞こうとする意識だけがあってもなかなか聞く気になれない原因でした。けど、自分の為の行為として人の話を聴くならどうだろうか?人の話を聞く事、気持ちを考える事を楽しく思える瞬間は?

それは簡単でした。人の話を聞いて相手が良いリアクションをしてくれたら、聞き上手になりたい・人の気持ちを理解できるようになりたいという自分の欲求が満たされて嬉しくなるのです。このメカニズムを利用して人の話を聞いたり、人の気持ちを考えれば、意識なんかしなくても勝手に人の話を聞くことが出来ますね。

全ての人がそうとは言いませんが、少なくとも自分は100%人の為になんか出来なくて、最低でも自分の快楽が無ければ人の為に動く事ができません。けど、それで良いし、むしろそう割り切った方が生きやすい。人によく見られたい、カッコよく思われたい、そんな見栄で人の為に動いてもいいじゃないか。100%純粋でない偽善も善だと割り切ってしまおうじゃないか。

前より自分に自信が付いた気がします。

あ、あと以前また別の友人が自分を小栗旬だと思い込む事で自信の塊を心に装備するライフハックを教えてくれました。これめちゃくちゃ良いのでオススメです。

サボってる自己分析もやらないとな〜。なんせ自分の成長の為にやってるんですからね。

最後までお読み頂いてありがとうございます。