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映画ターミナルのような話⑥

終焉


超、奇跡的に盗難品が見つかり、大連空港内の事務所に戻る。

心配してくれたスタッフのみんながよかったね!
と笑って肩を叩かれ、とても嬉しかった。

みんな本当に優しかった。

さて。

どうやって福岡帰れば?

心配して尋ねるとルーさんが「明日の飛行機にチェンジしてますので、それで帰れます」と。

あ・・・ありがたやー!

あんた、なんて出来た人なんや。


「謝謝、謝謝、謝謝、大謝謝。」

ルーさんの肩をバンバン叩いて喜ぶ。

肩が外れた振りをするルーさん。

ここで働こうかな、もう。

・・・ん? 明日?
フライトがないらしく、明日の朝一で帰国させてくれるらしい。

なので、今日は一泊、大連市内のホテル泊になる。
ホテルの手配も、送迎もルーさんが完全にやってくれ、本当に良くしてくれた。

物事があっちこっちと行き交い、急展開を向かえ、終結してドッと疲れた。
ホテルのフロントの鏡に映った自分に気づかない程、疲れで老け込んでいた。

途中、ルーさんにお願いして実家に電話をしていたのだけど、この時 実家では、かなりの大騒動だったこと・・まだ知るよしもなく。

ホテルに着くと直ぐにシャワーを浴び、横になる。

30分くらい寝たら 空腹と寒さで目が覚めた。

フロントに下りて食事をする場所があるかと尋ねると、外にたくさんレストランがあるらしい。

言われた通りに外にでると、まぁ~ 大連の道路の広いこと。

無事に向こう側にたどり着く自信もなく、他に食べ物やさんがないかホテルの裏に回る。

なぁ~んにもない。
怪しげなおじさんたちが一斗缶で焚き木をして丸くなってるくらい。

寒い・・・お腹すいた・・・。
急に淋しくなる。

タイであったいろんなことに加え、この出来事。
よく我慢できてたなと、一瞬だけ涙ぐむ。

旅で知る自分の存在は、いつも無力だ。
だけど、なぜか生き延びている奇跡。

どれだけ自分が周りの人に助けられ、人に迷惑をかけているか。

好きなことをして、人が知らない世界を知って、経験値だけが増えていく。

だけど、人が知っている当たり前のことを何にも知らない私。

丸くなるおじさん達からちょっと離れてポケットに手を突っ込んだまま壁に背を当ててしゃがみこむ。

泣いているのかもしれない。

しばらくしゃがんでいると、なんだか何かに負けてる気がしてくる。

息を吸い大きく吐き出しながら空を見て立ち上がると、また歩いた。

そしたら、さっきは気がつかなかった看板が目に入った。

「○○便利店」

便利店??
お、これは、もしや。 コンビニ的な?


ビンゴ!!!

(便利店は、商店でした。)

ペットボトルの甘そうなコーヒーと水を買い、食べ物を探せど、燻製しか売ってない。

・・・なんで燻製だけやねん!
(まだいた透明の相方につっこんどいた。)

店を出ると隣にも便利店があった。
外から中を伺うと、レジのカウンターに肉まんらしいフォルムの食べ物が見えた。

おずおず入り、おばちゃんに「これこれ」と指をさす。

無視するおばちゃん。
テレビに夢中らしい。

もう一度、「これこれ、2つ!」

アピールすると、面倒そうに立ち上がり、取ろうとはしてくれるものの、猛烈に怒ったような勢いでなにやら話しかけてくる。

「えぇ・・わからんよぉ。肉まんくれって言っただけやんかぁ~」

オロオロしていると、やっと中国人ではないと悟ってくれる。

どうやらおばちゃんは、「肉まんないよ!」って言ってるらしい。

牛肉肉包 みたいなのが肉まん。
その下に猪肉包があって、さらに菜包らしき文字。
(猪って…なに?犬とかだとやだな。)

無難に野菜包を2つ買うことに成功。

ホテルに戻ってやっと食事。
意外においしい野菜包み。野菜の煮物が入ってた。

お腹が満たされ、ベットに沈みこんでまた眠る。

翌朝。

ホテルのレターセットに自分の気持ちを英語でしたためる。
誰か翻訳してくれるだろう。


そして一番下には漢字で

中国国際航空 全員 感謝! 大感謝!!!


それを、空港でチェックインする時に説明して託した。
ルーさんに感謝が伝わればいいな。

そこからは全てスムーズに何の問題もなく飛行機に乗り込み、到着まで眠った。

もちろんバッグはしっかり抱きしめていた。




「よう、きんしゃったな」



と書かれた看板に、一気に福岡愛が燃え上がる。

当たり前の事に感動してしまうくらいスムーズにイミグレ通過。
遂に娑婆にでる。

・・・さて、帰ったらどうなってるんだろう。

ドアが開いた所に妹が立っていた。
仁王立ちである。

残念な姉に対する怒りのアピールだ。

私を見つけるとおもいっきり鼻で笑う。

いきなり土下座をすべきか迷う。

媚びるようにへへへと笑いながら近寄ると
「被疑者 確保!」と 携帯で実家の両親に私の帰国を伝えていたのでした。

おわり。

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