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人は働かなければならないのか?~哲学対話を聞いて~

初めて哲学対話に参加した。そのときのテーマが「人は働かなければならないのか?」となった。

チキンだったので全然発言できなかったが、代わりにここで自分の意見を言ってみる。

対話の論点としては、
働くの定義とは?人のためになることが仕事?
仕事と働くことは違うのか?ベーシックインカム導入したら働くことの意味はどういうものになる?

といった感じ。

自分以外は社会人で、年齢層も様々、少なくとも自分よりは仕事に対して向き合っている気がするが、
あえて専門外が語るnoteなので、このまま進めていこうと思う。

そもそも日本語が難しいのだが、workとlaborは違うと思う。人が生きる上で行う営みをwork、賃金を得るための労働をlaborと考えている。というか、workという大きな集合の中に、laborという小さな集合が入ってるイメージだ。

人間は元来、他の生物と同じく生きるため、または子孫を残すために活動していた。それが徐々に貨幣が導入されると、仕事の価値を貨幣を用いて計るようになり、資本主義経済となると、ほとんどそれになった。つまり、「お金のために働く」というのは、後から付け足された概念である。

古代では、獲物を探すのも、獲物を捕まえるための武器を作って楽しむのも、同じ営みだ。現在では、スーパーで肉を買って、手芸をしながら食べる人もいれば、畑で野菜を育てて、家に帰ってAmazonでポチったswitchで遊ぶ人もいる。似たような行為でも、お金を払うか自主的にやって楽しむ人もいるのだ。

お金のために働くか、アーティストのようにやりたいことをやるか、のような二択ではなく、生きるための活動の中に、お金のための労働が含まれていると考えているのはそこである。

人間が便利な暮らしを効率よく実現するために、分業という技術で成し遂げるために取った行動が「お金のためにやりたくない労働をする」だ。

話の中に出てきて面白いと思ったのが、活動をしてお金を得られたら、それはお金を得るための労働であり、得られなければ、それはただの活動であるという意見だ。これは外的評価であるが、逆もあり得る。すなわち、自らのモチベーションをお金とみるか、個人の楽しみとみるかだ。

ここはお金とはなにか?価値とはなにか?という別テーマの話にもなりそう。他でも議論したいものである。

また、資本主義社会では、お金に替えられる仕事は尊ばれ、お金にならない仕事は無駄とみなされる傾向があるということ。ここで考えたのは、「お金にならないが必要な仕事」「お金になるがそこまで大事でない仕事」があるかどうかだ。前者はworkからlaborを除いた集合であり、後者はlaborのはみ出した部分の集合だ。

脱線?なのか、考えるヒント?なのか、個人的には別枠にしたい話もあった。下にいくつか挙げたい。

そもそも人は食うために働くが、食うのは生きるためであり、この二つの前提があって初めて「生きるために働く」の議論が可能であり、この前提条件は疑わなくてもいいのか?というのがあった。

個人的に、ここは人間なので、食べないと死ぬのは自明であり、食うために働くの部分に絞ってもいいと思った。対話の中で同じように発言した人もいた。

また、働くことは他者との関わりがあってしかり、一人では成り立たないのではないか、という話もあった。これは個人的になんとも言えないと思う。現代の生活は分業が基本であり、多少人との関わりを絶ったところで、他人の作ったものまで排除して生きることは困難だ。
ただし、俗世から離れて、完全自給自足で生活することも不可能ではない。まあ、美味しい本格ピザを食べたり、スマホゲームに浸るのは無理だろうけど。
しかし、生まれてから死ぬまで誰とも関わらないのは(現在のところ)不可能だ。というか、生物である限り親を持たずに生まれることはできないから、これを考慮するのは不毛だ。その意味では他者との関わりは必要となる。

他者との関わりについては、「他者」の範囲をどこまで設定するかによって必要か不要かに分かれる気がする。

この対話の序盤と終盤にベーシックインカムの話が出たが、お金のためだけに働いているなら、ベーシックインカムで置き換えるのはありだと思う。だから、その意味で「働く必要はない」。ただし、ロボットやAIなどによる労働手段の代替は必要であり、それが経済合理性の観点ですぐに行われる保証はない。これについては別記事に書こうと思う。

もしそれが実現したときは、人間はお金から解放されるが、それ以外の金銭に依らない仕事をしていくと思う。ただ、そこまで労働が置き換えられているのなら、人間がやることはかなり限られているはずで、もはやなんでも機械ができるのに、いまさら何をして楽しめばいいのだろうかとなるのかもしれない。そうなったらどうすればいいのかは、今後も議論していかなくてはならない。

最後に、対話を聞いて思ったこと。

ZOOMで会議って難しいんだなあ。

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