ロック厨、関ジャニ∞に惚れる。


はじめに

これは、過去に私が「音楽文」というサイトに寄稿した文章です。

当時の私は関ジャニ∞にハマったばかり。
"今"のわたしが感じたことをどうにか残したい一心で書き殴った完全自己満の文章にも関わらず、沢山のeighterさんから暖かい言葉を頂きました。

しかし、昨年そのサイトは閉鎖され、当然寄稿していた文章も読めなくなってしまいました。


今、事務所は大きな渦の中にあり、関ジャニ∞という名前も変わろうとしています。

メディアでは毎日のように嘘かホントか分からない情報が飛び交い、正直X(旧Twitter)を開くことすらしんどくなってきました。

そんな今だからこそ、eighterさんとこの想いを共有したい。

私の、私たちの、"好き"を否定する権利は、誰にもありません。

私と同じように、彼らの今に心を痛めている人達が少しでも温かい気持ちになってくれたらいいなと思い、この"note"というプラットフォームを使って再掲することにしました。

敢えて加筆はせず、当時ままの文章です。

それでは、どうぞ。



本章:偏見を超えた先に見えた景色


BUMP OF CHICKENやRADWIMPSに憧れた中学生時代。以来、バンド一筋十数年、1年に20本以上のLIVEやフェスに参戦する根っからのロック厨。そんな私が今、ジャニーズにハマっている。これは今までの私からすると由々しき事態である。


正直に言わせてもらうと、私は《音楽》という土俵におけるジャニーズが嫌いだった。

なぜか?
バンドは生音が命だ。間違いもトラブルも声の不調さえも、その日その時にしか聴けない音がある。それこそがライブの醍醐味であり、私がバンドを愛する所以でもある。

だから許せなかった。TVの中で明らかに口パクをしながらダンスだけ踊っている彼らのことが。(勿論他にも居るだろうが、関係ないので割愛させて頂く)もしかするとそこには、"大人の事情"的なものがあるのかもしれない。が、とにもかくにも思っていた。
「音楽番組に出て歌わないなんて、不誠実だ」と。


《ジャニーズ=口パク》という偏見を、かれこれ10年以上持ち続けてきた。この考えが変わることはないと思っていたし、変える気もなかった。
そんなゴリッゴリに凝り固まった頑固親父の頭のような偏見を、一瞬で飛び越え、ぶち壊してくれたのが関ジャニ∞だった。


あれは数ヶ月前のこと。たまたま見ていた音楽番組で、たまたまかかった『友よ』という楽曲に、私は衝撃を受けた。

"なぁ友よ"

少しクセのある安田の歌声が響いたその瞬間、私の周りの時間が止まった。
何の気なしに観ていたのに、いつの間にか手を止めて引き込まれている自分がいた。

"答え無き時代に 揺るぎない覚悟
夢見て 打ちのめされて
また夢を見るんだ"

今の彼らをそのまま表したような歌詞だなぁ、と思った。

渋谷・錦戸が抜けたことは知っていた。それが歌唱面で引っ張ってきた2人であることも。にもかかわらず、5人は何一つ誤魔化すことなくありのままだった。振り付けはなく楽器も持たない、表情と歌声だけの真向勝負。あるのはスタンドマイクが5本だけ。眉間にシワを寄せて必死に歌うその姿は、どう見ても口パクのそれではなかった。

"歌が染みる"
ジャニーズの曲を聴いて初めての感覚だった。


曲が進むにつれ、思った。

"なぁ友よ
人生って最高だろう?
だからやめられないんだろう"

あぁ、これはきっと
『過去を背負い、肯定して、共に生きていく』という彼らの覚悟の歌だ。

"君が見る時代に 惜しみない愛を"

"やんややんやとわめき散らしながら
思いのままに生きてやれ!"

そして同時に、
『己の道を信じて進め 』という2人への応援歌であり、ラブソングだ。

気がつくと私は泣いていた。彼らのことなどほとんど知らないのに、涙が止まらなかった。彼らの過ごしてきた並々ならぬ日々が確かに感じられる、そんな歌だった。


関ジャニ∞についてもっと深く知りたいと思い、あの手この手を使って調べた。その中で安田の脳の手術と後遺症を知り、ラジオで大倉の言葉を聴き、少し恥ずかしさを感じながらもJohnny's webに登録して、メンバーの言葉を読んだ。


Johnny's webの中に、安田がやっている『ボク。』という日記のようなコンテンツがある。普段はとても穏やかでポジティブな彼なのだが、とても印象的に残る日があった。その日綴られていたのは、赤裸々な想いと、滅多に吐くことはないであろう弱音。

「eighterが前を向いた時に、ちゃんと自分たちが立っていられるように、笑顔で迎えられるように準備します」と、大倉は話していた。言葉通り、TVでは以前と変わらない楽しそうな姿を見せている。その笑顔の下で、彼らは癒えない傷や折り合いのつかない想いを抱えていたことを知った。


それでも尚、彼らは笑顔を届ける。
"アイドルだから"。
なんて当たり前のようで、当たり前ではないのとなのだろう。彼らを想うと、胸が苦しく、より一層愛おしくなった。

改めて思うのは、彼らも一人の人間だという事。ただ笑顔で手を振って、キラキラしてるだけの人形じゃない。傷付くし、病気にだってかかるし、いつかは死ぬ。そして、一人一人の人生がある。アイドルも、バンドも同じだ。
人間だから。生きて、続けてくれていることが奇跡なのだ。



知れば知るほど、彼らの魅力にハマっていく自分がいた。同時に、「7人*の関ジャニ∞を見たかった」と思いも強くなった。

でも、それは違う。7人のままだったらきっと関ジャニ∞を好きになることもなかった。私は、"5人の関ジャニ∞"に惹かれて、5人が歌う『友よ』だからこそ、どうしようもなく心を揺さぶられたのだ。姿形はなくとも、5人の中に2人のDNAは確かに存在していている。私は、過去も全部含めた、"今の関ジャニ∞"が好き。今はそう思える。

 
関ジャニ∞の曲は、おちゃらけた曲からダンスチューン、ばりばりのROCKなど、とにかく多彩だ。ジャンルに縛られないことは、ジャニーズの音楽の魅力の1つかもしれない。


世の中には、まだまだ自分の知らない素晴らしい音楽が溢れている。それに出会うも出会わぬも自分次第。偏見をぶち壊して、新しい景色を見せてくれた関ジャニ∞には、とても感謝している。

そして、関ジャニ∞と全てのeighter*に謝りたい。何も知ろうともせず、口パクと決めつけていてごめんなさい。彼らは、ライブでもTVでも、いつだって全力で歌って演奏していた。あなた達が好きな彼らは、真っ直ぐで誠実な人達だった。何よりも不誠実なのは、勝手に決めつけて嫌っていた、過去の私だ。

まさか自分がジャニーズにハマるなんて、人生何が起こるかわからないものだ。もしこれを読んで少しでも関ジャニ∞に興味を持ってくれた人がいるなら、ぜひ『友よ』を聴いて欲しい。高橋優が提供した、『象』もオススメだ。ばりばりのロックチューンなので、バンド好きには堪らないはず。

どうか偏見や思い込みに捕われず、素晴らしい音楽に出会えますように。全ての音楽好きに幸あれ。
 

*元々は8人ですが、内くんはデビューから脱退までがあまりに短く、私の認識する関ジャニ∞のイメージは7人だったので7人とさせて頂きました。

*eighter=関ジャニ∞のファンの総称



おわりに

グループ名の変更にあたり、「あの時よりは全然ましだ」という声をちらほら見かけました。

あの時、とは、過去にメンバーが抜けた時。
すばるくん、亮ちゃんがいなくなった時。

私は、"あの時"を知らない。
タイトルのないFC動画が突然送られてくる怖さを、動画を再生すると昨日までとはまるで違う景色が映っている怖さを、知らない。


グループ名が変わるというニュースをみたとき、私は会社のトイレで1人泣きました。

何が残って、何が変わるのか。本人たちさえも手探りな中届けてくれた、タイトルに日付だけが入った動画が送られてくるまで、ずっと泣いていました。

ただきっと、

"あの時"と大きく違うのは、

「僕らは変わらず続けますから!!!!!」
と、声を大にして言ってくれていること。
5人は、変わらないこと。

"あの時"と同じなのは、

常にeighterに寄り添っていてくれること。
自分たちよりも前に、必ず"eighter"のことを考えてくれること。



悔しい、悲しい気持ちは消えない。

けれども、例えグループ名が変わっても、"関ジャニ∞"の歴史はなくならない。
彼らがいるかぎり、"関ジャニ∞"は続いていくんだ。


どうか5人の行く先が、拍手喝采の未来でありますように。

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