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知ることが必ずしも幸せとは限らない

SNSを見ていると、
「○○は絶対するな‼️」
「知らないと損⁉️絶対にすべき○○‼️」
のような煽り文句をよく目にする。

うるさいなぁ、と思う。

辞書を引かずとも、ネットで調べれば滝のように情報が出てくる時代。便利な反面、信憑性を判断するのがしんどい。


例えば、最近ヘアアイロンが壊れた。
5〜6年使っていたのだが、特段良かったという訳でもなかったので、これを機に別のものを買うことにした。

まずはある程度目星を付けるため、インスタやGoogleなどで検索して『ヘアアイロン何選』のようなまとめ記事で情報収集。
ある程度絞れたところで、メーカーの口コミなどを調べる。全ていい事しか書いていないのはサクラっぽくて怪しい。かと言って評価が低いものがひとつでもあると、不安になる。

価格のこともある。Amazon、楽天、yahoo!など、通販サイトごとに送料も価格も違う。

そうこう調べているうちに、段々と疲れてきた。情報が多すぎて、何が良いのかわからない。
私は一旦携帯を置き、調べることを止めた。


一度立ち止まってしまうと、また歩き出すにはある程度の労力が必要となる。と言っても、たかだかアイロンを検索するだけの話なんだけど。お店を決める時、人の誕生日プレゼントを選ぶ時、旅行の宿を決める時も同じ感じ。さぁ、調べるぞ!という少しの気合いが要る。

旦那のアイロンがあったのでしばらくそれでやり過ごし、結局いつもお世話になっている美容師さんのオススメのアイロンを購入した。


ネットというものは、人の「損をしたくない」という気持ちと相性が良い様で実は良くない気がする。冒頭に書いた謳い文句を見かける度、「損をしたくない」という気持ちに付け込まれているみたいで嫌気がさす。

いいなと思う情報があったとしても、なかなかそれを使うタイミングまで覚えていられない。忘れたくなくてスクショをしても、日々堆積していくカメラロールの彼方に消えてしまう。そんなものだ。

知ることで便利になったり、幸せになれることは勿論あるけど、知らなくても生きていける。むしろ知らない方が幸せなこともあるよなぁ、と思うのです。

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