フリクリ所感、或いは回顧

※これは、映画フリクリ オルタナ・プログレ未視聴での、本編だけの感想です

意味が分からないものって世の中にはたくさんあって、でも何の変哲もない日常っていうのも地続きで存在している。そのアンバランスな感じがグッとくるのが、アニメ「フリクリ」だ。

私は「分からない」という状態が好きだ。「調べよう」とかいうより、そのうずうず感を確かめるために反復的に同じものに触れたりして。もちろん、そうやっていけば、「分からない」ものも分かっていく、ことはある。でも、「分からない」状態が増えていくほうがわくわくしたり、しません? 主人公の頭からいろんなものが出てくる理由も、ハルハラ・ハル子が何者かも、分からない。説明がないわけじゃないけれど、分からないことが見るたびに増えていく。どうしてこんな、どうしてこんなものが存在できているのか。

最近は、新しいアニメが始まるたびに、考察厨なる存在による解説が日毎垂れ流されていく。それらを無感覚に摂取して分かった気になる。分かった気になって、ほんとに良かったんだろうか。私はなんだか、そういうのに毒されてしまって、アニメを観る気力を削がれていたときに、出会ったのが「フリクリ」だった。たぶん、過去のログをあされば、いくらでも考察を発見することができる。でも、それをあえて「見ない」という選択肢を積極的に採ることができる。ハッシュタグ付きのツイート考察に溺れなくて済むのだ。それがどれだけ心地よい事か。どこがどうとか批評できなくても、とりあえず映像の圧だけを呼吸代わりに観ることができる快感。

また、別のことを言えば、アニメーションは、漫画とかラノベのアップグレード版なんかじゃない。それを信じさせてくれるだけの、吸引力が、フリクリにはある。私が昔ノイタミナに夢見て恋していたくらい好きだった日々を、思い起こさせた。オリジナル・アニメの無軌道さが、学生の頃うとうとしながら深夜アニメを観ていた、あの頃を思い出させてくれる。今は、見放題システムが発達してはいるけれど、当時はそうはいかなかったから。

「フリクリ」をストーリーラインで語るのは難しいから、「おねショタ」とか「SF」とか、「セカイ系」とかといった、ジャンルや属性や要素で語ることにはなるんだろう。でも、それでは私が感じた「わくわく感」だとか「分からなさ」を伝えるのには、まったくもって寄与していない。途方もなくやる気に満ちたスタッフの、その「わくわく感」が伝播した、その感じが好きなんだ。何もアニメに詳しくなくても、心をわしづかみにする、そんな何かがある。その「何か」を取り戻しにいこうじゃないか。

まあ、漫画版や小説版を、復刊してくれるのが、ありがたいんだけど……。

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