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論を届ける

バランスをとるということ


バランスをとるという結論を出すのは、

ある意味イージーである。


何か2つの軸があったときに、

「両方大事」

「バランスが大事」

と言うのはイージーなことである。


たとえば、

「子どもは褒めて育てるのが大切」という論と、

「子どもは叱って育てるのが大切」という論がある。


その2つの考え方の間で議論をしているときに、

「どっちも大事だよね」

「バランスが大事だよね」

「内容によるよね」

ということを言う人がいる。


確かに「両方大事」だし、

「内容にもよる」。


それは正しいのかもしれない。


正論かもしれない。


けれどあんまり面白くない。


別に面白さなんて求めていないと言われたら

そうなのかもしれない。


自分の論に固執するということ


「バランスが…」

と言っている人の講演は、

なんだか面白くないことが多いような気がする。


そういう人の論は、

「正しいなあ」と思うし、

納得感を得られることはあるけれど、

あまり面白くない。


逆に、自分の論に固執しているような、

偏った人の話を聞くのは面白い。


自分の論に固執している人の話は、

そこに自分という人間が込められている。


自分という人間を押し拡げながら、

一人の人間の人生をかけた論が、

そこに展開されているから。


そこには、

バランスとか、

折衷案とか、

そんなものを超えた何かがあるような気がしている。


それは、

自分に向き合い続けた結果生まれた、

ほとんど個別的なもので、

理解されない可能性を大いに含むもので、

エゴである。


果たして私は、

私の論に固執できるだろうか。


自分を押し拡げる勇気を持って、

自分の論を、

誰かに届けることはできるだろうか。


バランスという結論に逃げずに、

自分の論に、

固執し続けることはできるだろうか。




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