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誰が為に

私はどうやらTwitterにおいて
「坂道グループ」のファンだと
認識されているらしい。
確かに私は坂道グループの
ラジオ番組を幾つか聴いており、
有難いことに坂道グループのファンの方々が
今でもフォローやいいねなどをしてくれる。

だが、私は坂道グループのファンではない。
そしてそのファンになったつもりもない。
では、何故あのような替え歌を
作詞しているのか?

それは私が「坂道グループの今後の動向」のファンであり、
「坂道グループを応援する『ファン』の
愛のカタチと心理」のファン」
であるからだ。


「こいつ何言っているんだ?」と
思う人もいるだろう。
きっと全てのアイドルファンを
侮蔑していた4年前の私もそう思うはずだ。
そんな私が何故こうなったのか?
「坂道グループの今後の動向」の
ファンになった経緯は
ほぼ過去のnoteで説明したので、
今回は
「坂道グループを応援する『ファン』の
愛のカタチと心理のファン」に
ついて説明しよう。

過去のnote
https://note.com/marosumontaku/n/n287c7a71f327


私は約2年間Twitterで
多くの坂道グループのファンの
様々な「愛のカタチ」や
「心理」を見てきた。

数多くのメンバーを推す者もいれば、
一人のメンバーを推す者もいる。
一方で、坂道グループが歌う楽曲を聴いて
涙する者もいれば、
「アイドル」の枠を超えて
演技やバラエティーなど
様々なことに挑戦するメンバーを見て
尊敬の意を抱く者もいる。
更にはメンバーの仲の良さや
雰囲気に惹かれる者もいる。
この様な実例をあげるとキリがないので、
ここまでにしておこう。

ファンの年齢層も10代~50代以上と
かなり広くなっており、
その中には学生や社会人、
アーティストや芸能人などがいる。
そしてそのファンが抱く愛のカタチは
全て異なっていると私は考えており、
同時に羨ましいとも思う。


Wikipediaでアイドルは
”「偶像」「崇拝される人や物」
「あこがれの的」
「熱狂的なファンをもつ人」を指す。
英語(idol)に由来する語。”
と、記されている。
そしてこの中の「偶像」は
Wikipediaの概説では、
”神の像や仏の像、
およびそれを崇拝する行為を指すために
使われている言葉である。
物としての偶像ではなく、
それを崇拝する行為のほうに
焦点を当てた用語として
「偶像崇拝」がある。

また、そうした行為を非難する意味を込めて「偶像教」という
用語が用いられることがある。
なお、この偶像「idol」が転じて、
様々な経緯を経て現代日本語の
「アイドル」の用法が生まれた。”
と、記されている。
確かに坂道グループを応援する行為や
「推しに貢ぐ」という意識でグッズなどを
買っているファンなどの姿を見ていると、
一種の宗教を想起させるものがある。

この世には多くの偶像(アイドル)がおり、
一人一人生まれた場所、血の色、
髪型や髪の毛の色、
身長などが異なっている。
そしてそれを推すアイドルファンの
好みや理由などが全て異なっているのは
当たり前のことである。

恐らく乃木坂46合同会社をはじめとするアイドル関連の運営会社は、
「メンバーのバリエーションや
人数が多い分、物理的に多くの外部層を
取り込めるはずだ。」と見込んで、
グループという体制を取っているのだろう。
そんな運営会社の思惑のおかげで
私は様々な愛のカタチと心理に
触れることができた。


かつて、私にも気になる女性がいたが、
それは全て一過性のものであり、
しばらくして
その熱が冷めてしまうものが多かった。
何度かその人の事を
もっと知ってみようと試みたが、
やはり知っても再熱することはなかった。
だからこそ実際に
それらの愛のカタチに触れてみて、
ここまでの熱量で応援できることが
凄いと思わされた。

同時に、意図して魅かれてみようと思っても
長続きしないことを知っていたので、
その偽りの無い愛のカタチと心理が
羨ましいとも思った。


私はそれらを可視化したいと思い、
替え歌を作詞するようになった。
そこには私の抽象的な
"坂道グループのファンの愛のカタチと
心理"が描かれている。
しかし、そこには私自身のメンバーに対する
愛のカタチと心理は描かれていない。

それは私が坂道グループ及び
この世のアイドルの事を
「ファンの心を操る力を持った者」。
大袈裟に言えば
「神の力に等しい能力を持った者」として
捉えているからだ。

これは過去のnoteでも
似たような説明をしたのだが、
私はアイドルによって
支えられてきたファンをたくさん見てきた。
仕草や立ち振る舞いなどによってファンに
「一生を愛していきたい。」と
強く思わせるアイドルもいれば
心が折れてしまいそうなファンに
癒しを与えて「頑張ろう!」と
鼓舞させるアイドルもいる。

他にも実例はたくさんあるが、
このように一人のアイドルの行動が
多くのファンの
今後の人生を決めてしまうのは、
もはや「神の力に等しい能力を持った者」と
言っても過言ではないと考えている。


今のアイドルに対して
このような印象を抱いている限り、
私が「坂道グループのファン」に
なることは無いだろう。
そして坂道グループの魅力を
発信する気もない。
では、何故このような行為をしているのか?
それは欲にまみれた「私」を
満たすためにやっているからだ。


そう。視点を変えれば、
今までの替え歌の歌詞には
「”坂道グループのファンの愛のカタチ心理”を可視化したい。」という
私自身の欲望が描かれているのだ。

私は己の欲望のままに
替え歌を作詞しているのだ。
坂道グループのメンバーの為でもない。
その坂道グループのファンの為でもない。
私自身の為にやっているのだ。

それでも多くの坂道グループのファンを
敵に回すこのような行為が、
共感を得られるものになっているのならば、それは心から感謝しよう。


長くなってしまったが、
私は替え歌を作詞している間は
「坂道グループの今後の動向」の
ファンであり、
「坂道グループを応援する
『ファン』の愛のカタチと心理のファン」で
あり続けようと思う。
今後もどのような愛のカタチと
心理に触れられるか
心から楽しみにしている。


私はこれからも「私」を満たし続けていく。

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