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自分を破滅させられるのは、自分だけだ。

タイトルは、今日ちょうど最終回を迎えた「善徳女王」の中での、ある人の言葉。

最終回ということでいろんな登場人物の最後の見せ場があるんだけれども、

最も泣かせる場面はまた全然別なんだけれども、

数々の名シーンの中で一番記憶に残った言葉がこれだ。

なぜか?

それはきっと、めんどくさいものを抱える自分にしっくりくるからだと思う。



私は所謂メンヘラである。それも、ガチもんの。

正しくはメンヘラ「だった」と言いたいところだけど。

最初にそれっぽい症状が出てからもう10年ほどが経とうとしているが、こうして長年付き合ってきてみて思う。

ガチもんのメンヘラ系は一度発芽してしまったらもう二度と消えないものだ、と。

芽が出た時点で既に根が深く張ってしまっているのだ。

いったんは治ったように見えても、自分でも「もう大丈夫だ」と思っても、その根っこが完全に取り除かれることはない。

どうあがいたところで発芽する前の自分には戻れないんだ。



でも別にそれは悲観することじゃなくて、古傷のように考えればいいんだと、つい最近、それもふと、思った。

一生消えないけど、それはそれで味があるんじゃないか。

度々その傷は疼くこともあるし、また開いちゃったりすることもあるけれど。

まあ傷が開いて酷い時には本当に酷いし、否応なしに周囲を巻き込んでしまうから何も偉そうに言えないんだけれども。

芽が出ちゃったからにはもう一生もんとして、何とか付き合っていくしかないんだ。なかったことにはできない。



今は特に問題もなく落ち着いていて、一時期の頃に比べて元に近しい状態になって、正直安心している。

だけどその一方で、ふとした時にまた出てくるんじゃないかって、不安は程度こそ変化するけれど常に付きまとっている。まあ性格の問題もあるかもしれないけど。

それが今の私のニュートラルだ。

発芽前のそれとは違うし、戻ろうとしたところで戻れるものでもない。そもそも人生の半分の時期をメンヘラを伴って過ごしてきたのだから、もはや発芽以前のニュートラルなんて思い出せない。



メンヘラであることで、その気質があることで、何かと制限がかかったり、人に理解してもらえないことも少なくない。

けどそれらも、まあもう仕方がないことなんだって今になってようやく思えるようになった。

そしてそんな自分でも生きていける場所を探して生きるしかない、ないなら作ればいいんだって思うようになった。

今だって、過去を思い出して「あの時はしんどかったな」みたいなことを思わないわけじゃない。

でももうそれを、いつまでも引きずりたくない。過去に甘んじていたくない。

結局専門家を頼っても、どれだけ周りの人が助けてくれても、自分が本当にその境地から抜け出したいって思わない限りは、いつまでたっても沼に片足を取られたままなんだ。


安定している今、たとえ再び沼に沈みそうになったとして、そのまま沈むか、抵抗するか、近くの藁を掴むか、どうするかは全て自分次第である。

自分を破滅させられるのは、自分だけだ。


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