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8/12(月) タクシー乗りまくり

今日はお悔やみの席に出席しました。
祖父のお姉さんなので、深い付き合いはなくて、2回くらいしか会ったことがない人でした。ご主人もお子さんもいなかったので、私と従兄弟の家族と司法書士の先生が出席しました。その後、ホームにいる祖母とも面会をしました。

今日の良かったことは、司法書士の綺麗で聡明で優しい先生に会えたことですかね。彼氏がいるらしくて、悲しいです。先生は義務ではないのに、月1で面会に行ってくれていたみたいで、善意で行動してくださっていて、本当に尊敬します。上から目線だけど、久しぶりに善人に会った気がします。
後、タクシーに4回も乗りました。1回も吐かなくて良かったです。アネロン最高。

なんだか、色々思ったので、記録として書いておこうと思います。

まず、認知症は怖いってこと。祖母は私のことも母のことも分からなくて、5分前にしていたことも忘れてしまっていました。果たして、この状態になって祖母は幸せなのか。小4まで毎週末は祖母の家で過ごしていて、その頃はすごく元気だったんです。でも中学受験を機に行かなくなって、その後も部活とかコロナとかで全然会いに行けなくなってしまって、高1の時に久しぶりに会ったら私のことがわからなくなっていて、、。今思うと、1人暮らしでご近所付き合いもなかったら、認知症が進行するのは当たり前なんだろうけど。時の流れが残酷すぎるって話。

後、今あるものもいつかはなくなるって話。何か大切なものがあるとして、それがあって今幸せでも、それを無くした時は幸せだった分悲しい。もちろんそれがなくなる前に自分がなくなれば、それが私にとっては1番いいと思うんだけどね。その大切なものが家族とか恋人とかだったりした場合、無くした悲しさを受け止め切れるのか問題。無くなった時に悲しくなるなら、そもそも持たなければいいのではと思ったりもする。でも1人で生きていくのはそれはそれで悲しい気もする。1人でも生きられる強さが欲しい。
大切な人がそばにいると苦しさは半分幸せは2倍って言葉を聞いたことがあるけど、その人が側にいなくなったら、苦しさは2倍幸せは半分になるのかな。結局残された方は悲しい。

明日からは元気すぎてフラメンコ踊ってる祖母の家に行きます。楽しみすぎる。
ではさよなら。

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