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「自分を大切に」

いつから流行っている言葉なんだろう。
私は自分のことが大好きなので、自己肯定感が強い人間だと近年まで思っていた。

しかし最近、人から大切にされることにザラつきを感じる自分に気付き
「自分を大切にしてくれない人たちと過ごしている方が気が楽な自分」
が存在していることを知った
いやすぎる…

私はよく「辛いことが起きたときに、すぐあとにもっと辛いことが起きたので大丈夫だった」みたいなことで切り抜けてきた
いやすぎるのだが、実際これが一番精神的になんとかなる

大変な状況のときに、他でも沢山の大変な状況が起きると
めちゃくちゃになってしまって、目の前の敵を倒すこと以外何も考えられなくなるのだ
ボロボロになっても全然痛くない、こんなの全然大丈夫と笑える自分が好きだった

しかしこの、ボロボロになっても大丈夫な頑丈さは
どうやって錬成されているのかというと
自分を大切に扱わないことで作られている

人から傷付けられたとき
自分が傷付けられて当然な人間だと思っていると傷付かないのだ

あと私を傷付けてくるのは、大概が私の大切な人たちだ
大切ではない嫌な奴らからの攻撃なんか当たらない
だから「お互い全然好きじゃない」という関係がラクなのだと思う
お互い全然好きじゃない連中とつるんで、こいつらの仲間かぁ、なんて思っていたら
大切な人から大切にされないのなんて当たり前だなと思えてラクになる

生活が安定し、辛いことに辛いことが重なりにくくなった昨今(とても良いことですね)

辛くなると私は自分の大切なものを手放すようにしている
大切なものを手放すのは辛いのだけど
それで他の辛さを緩和しているのだ
特殊なリストカットかもしれない
しかし何も持っていない状態のほうが、心は強くなる
大切なものがあればあるほど、私は弱くなるのだ
何かを手放すと、身軽になって前に進めるようになる
ここではない場所にいつでも行ける、と思える

こんなことに気付いたのは
前述の通り、最近人から大切にしてもらっているからなので悪いことではない気もしている

ただ人から大切にされると、自分を大切にしていなかったことに気付いて悲しくなってしまう
そして、自分を大切にしようかな、と思うと
いま置かれている状況のしんどさに気付いてしまうのだ
前までは何とも思わなかったことですごく疲れてしまう
前までは10キロ走った後に1キロ泳げていたのに、今は50メートルも走れない気がする
ボロボロになっても絶対に負けないのが私の自信だったので、こんな状態ではこの先不安だ

でも人に話すと
それが普通だと言われる
普通の人は50メートルも走ったら休んでると
10キロ走った後に1キロ泳いでいたあんたが異常だったのだと

まあ、そうかもしれないなと思う

「自己肯定感」とはなんだろう
私は自分が好きだが、自分のことをできが悪いと思っている
とにかくいろんなことが40点なのだ
でもそんなところがかわいいと思っているから、自己肯定感が高いと思っていた

でも、と思う
お前は40点なのだから、大切にされなくても仕方ないんだよ
とも常々思っていた気もする
だってその方が傷付かないから

難しい…

きっと、と思う
これから私は、少しずつ自分を大切にしていくほうに進んでいく
幸い私は私のことが好きなので、そんなに大変なことではない気もする
自分のことを大切に考えたら、きっと色々なことが変わってくると思う
それが良いか悪いかもわからない
環境をガラリと変えることには限界があるから
まだまだ「辛くても全然大丈夫な私」に頼りながら
少しずつ、様子見だ

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