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あっ、うんこ踏んだ

「あっ、うんこ踏んだ」
人生で踏む機会はそうそうないのに、踏んだ瞬間わかるあの感覚。数多のものを踏みしめながらあるき続けて35年、5年ぶり3回目の感触。とりあえず出先で騒ぐわけにもいかないので、Twitterに「うんこ踏んだ…」とやるせなさを放流した。

初めてうんこを踏んだのは4歳のとき。
幼稚園へは公園を突っ切っていかねばならず、雨に降られながら公園の真ん中あたりに差し掛かった頃。
「あっ、うんこ踏んだ」
不思議なもので、人生ではじめてうんこを踏んだというのに、「わたしは今、うんこを踏んだ」とその感触で確信したのを覚えている。足裏は本能的にうんこを識別できるのか。恐るべしうんこセンサー。長靴の裏を見てみると滑り止めのギザギザが公園の土とは異なる茶色で埋まっている。何やってるの!と金切り声を上げつつ土ですってうんこを落としなさい、という母の言葉に従うもギザギザは黄土色のままだった。幼稚園についた母は、長靴を私の足から引っこ抜き逃げるように帰っていった。昼ごろ迎えに来た母の手には、ギザギザがきれいになった長靴が携えられていた。今朝のできごとをすっかり忘れて公園を突っ切ろうとした私の首根っこを母がつかまえ、いつもは通らないツツジの花壇の脇を、ゆっくり手を繋いで歩いて帰った。

そんな幼気な記憶を呼び起こされながら何くわぬ顔で地面にズリズリと靴底を擦り付けてみたけれど、靴裏の「Reebok」のロゴが見事な黄土色で埋まっている。あの時と同じだ。まじかよ。

2回目にうんこを踏んだのは長女の親子遠足。下の子を抱え足元を見づらいなか長女を追いかける。カマキリみつけた!と藪の近くにしゃがみこむ長女においついたその時、
「あっ、うんこ踏んだ」
小枝のパキパキとした反発にまじり、あの感覚がかかとにある。さてどうしたものかと考えを巡らせてるうちに、男児に見つかった。○ちゃんのママがうんこ踏んだー!!!そんな大きな声で叫ばなくていいよ、おばちゃん気づいてるからさ。
不幸なことにその公園には水道がなかった。幼稚園まで徒歩で戻る道すがら、園児たちに口々にうんこうんこと言われながら歩くという辱めを受けた。ウンが悪かったわね。魔女のような大御所先生がそう言って靴を洗ってくれている間、私がうんこを踏んだという事実は学年を超えてむじゃきに園全体に広がっていく。

そもそも子どもの時より、大人になってからのほうがよくうんこ踏んでるってどういうこと?うちの子たちですらまだ人生でいちどもうんこ踏んでないってのに。黄土色の「Reebok」を憂いながら家に帰る。玄関先に居着いている野良ネコが怪訝な顔で私を一瞥し、あからさまに風上に移動した。なんだよ、おまえのうんこだってもしかしたら誰かが踏むかもしれないでしょ、おまえはちゃんと埋めなさいよ。爪楊枝で「Reebok」のRから順番にほじくる。八つ当たりをしたにもかかわらず、風上から気の毒そうに野良ネコがみじめな私の姿を見守っている。

庭のホースで仕上げのすすぎをして、日当たりの良い場所に靴を干して部屋に戻る。

「それは途轍もなく良いことが起こりますよ」
放流したやるせなさが、やわらかな言葉で拾われている。
「ウンがつきましたかね、優しい言葉をありがとうございます。強く生きます!」
きっと誰かの厄を私が引き受けて、結果的に徳を積めたに違いない。踏んづけたのが、誰かの気持ちじゃなくてよかった。あしたもいい日になりますように。

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