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あたりまえということ。

こんにちは、ネガティブキングダム第十三代目当主のまろげです。

第十三代目当主がどれぐらいネガティブかと言うと、小学の体育の授業中にあつしくんに言われた「お前が居るとサッカーつまんねえんだけど」って言葉を未だに思い出してゲンナリするぐらいネガティブです。皆様も少なからず経験があるのではないでしょうか?ないですか?そうですか・・・。

前置きはさておき、僕は同性愛者です。皆さんにとってあたりまえってなんですか?皆さんから見たら性的マイノリティの僕はあたりまえではないかもしれないですけど。あたりまえは千差万別であり、いろんな形があると思います。本日はそのあたりまえについて考えてることをまとめてみました。

同性愛者のあたりまえ

前述しましたが、僕は同性愛者です。かといってメディアで切り取られたようなゴリゴリに女装をする感じでもないですし、所謂ゲイバーと呼ばれるお店で明け方まで飲み散らかしたりする方でもないです。平日は仕事をして休日は家から一歩も出たくない類の人間です。多分うまく隠れられている方だと思います。

同性愛者の世界は世間で言うあたりまえは少しズレている感じで、例えば結婚や家庭を持つことが出来ないため、付き合っている人が入院、緊急の際には面会する事ができないなど。法的な整備がされてない面もあると思いますが、まだ世間からの容認は難しいところもあると思います。

上記に割と綺麗なことを書きましたが、同性であるが故に、子供が出来ないため、肉体関係などに少しルーズな面もあると思う。あとはイケメンが優遇されます。身体を鍛えていても優遇されます。ゴリゴリのルッキズム社会だと感じます。これを読んだ人でモテたい方はジムに行くことをお勧めします。

存在するあたりまえ

少し自分の話をしますが、昨年、身内に不幸がありました。

当時仕事中であり、携帯電話からその知らせが届きました。電話を受けた段階でもう芳しい状態ではなかったこと、僕は急いで新幹線に飛び乗り、地元に戻りました。ですが、あまり待ってくれなかった様で、車内で訃報を知ることになり、その後の車内はとても長く感じた気がします。

そこから地元の総合病院に行き、葬儀・告別式・出棺まであっという間に終わった気がします。葬儀の参列者が多すぎて箱がパンパンになったり、火葬場で遺骨をでっかい箸で拾いましたけど「これいる?」と感じました。もうすぐ1年経ちますが、未だに亡くなったという実感が湧かないです。ですが、人が亡くなっても続いて行くんだなということだけは実感しています。(ドライ?)また、当たり前ってこんな簡単に無くなってしまうんだなと。

結婚するあたりまえ

僕の住んでる地域には保育園や小学校が多くあります。ほかの地域より多く密集してるんじゃないかと思います。通りすがりの親子を見るたびに毎回考えてしまいますが、こうして結婚して家庭を作るのが当たり前なのかなと。

今ではやれ独身貴族だのLGBTなどの言葉も広まっていき、結婚しないという選択肢や性の多様性が認められつつあると思います。また、「結婚する」「しない」それがすべてではないと思います。けれど、僕自身は子供がいるあたりまえという風景はとても羨ましく感じるところがあります。「子供が欲しい!」というわけではなく、「家庭」として周囲に認識されている状況が羨ましいんだと思います。たぶん。

あたりまえであるということ

あたりまえについて、つらつらと書いたけど、大体の人は「そんぐらい知ってるんだか?」と思っていると思います。だけど皆思っていても言葉にはしなくないですか?と。最近当たり前について話す機会があり、多分僕もそうですけど「わかって欲しい」「わかってくれている」と考えているんだと思います。でも、自分にとっての当たり前は他の人からしたら当たり前であるという保証はどこにもないと思う。ただ、その人達の当たり前が偶然一緒で違和感がないだけじゃないのかと。もっと身近なことでいいので言い合うべきなんじゃないかと感じます。「面白いことがあったら言い合える」「悲しいことがあったら心配してくれる」「ムカつくことがあったら怒ってくれる」なんでも良いと思います。そうしていくうちに皆が皆のあたりまえを感じ取れるとようになれば、もっと楽になるんじゃないかと考えています。(何が?)


自分も誰かにとってのあたりまえになれたらと思うばかりです。

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