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祖母の着物

いいお散歩日和でした。
お正月実家で祖母の着物を奪い、近所の奈良の古着屋さんで普段着に使えるような形に仕立て直してもらっています。
最近仕上がったオレンジの着物も、洋服と合わせるとよく似合ってお気に入りです。博多の人だった祖母がこれを作った当時はきっと1960年代くらいなんだろうけど、あの時代にこんな斬新なデザインにしたあの人はやっぱり私の記憶に残る通りのハイカラな人間だったんだろうと思います。私の記憶の祖母はいつも若々しい知的で憧れの人でした。幼かった私の前で、都会の女だった祖母は、散々田舎社会の悪口を言っていたので、幼少時代に植え付けられてしまった、自分の故郷への嫌悪感や羞恥心はそれも影響しているのかも知れません。
故郷を客観的に眺められるようになった今では、もっと錯綜した思いに形を変えています。

一度しか着なかった成人式の振袖も、思い切りバッサリ切ってジレに作り替えてもらう予定です。奈良の行きつけの古着物屋さんに行くと、いつも他の店よりもお安くしていただけます。古着物を活用して広めてくれるのが嬉しいからお安くしてるんだそうです。店の前には着物の「撮影禁止」と書かれてるので、一見気難しそうなお店に見えますが、常連になるとキレのある女将さんに贔屓にしてもらえます。それが奈良の良いところ。仲良くなって中に入り込むと強い街。

学生時代に落語研究会だったので、着物を身につけてると落ち着きます。高座で落語をする時は、素の自分から離れられるひとときです。この世知辛い世も演じるように生きていけたら、何とか乗り越えられるような気がしますし、装束によって別のアイデンティティを手に入れる気がします。私にとってはそれが着物ですが、きっと女装する人とかコスプレイヤーもそれに近い感覚があるのかも知れません。

最近は仕事着も着物リメイクファッションが多くなりました。
昔は女性である自分が嫌で嫌で、女性が男性よりも劣った生き物のような風潮も世の中にはあったからなのか、強い男の子になりたくて、男物の下着を付けて学校に行っていました。男子校でこれ言うと皆萎えますけど。幼少期から「女の子らしさ」とか「お嫁さん」などという言葉が身の毛がよだつくらい嫌いで、聞くたびに吐きそうになったりしました。家庭科が全科目の中で一番成績が悪くて、性教育の授業は嘘をつき学校をサボっていました。

成人式に振袖なんか着たくない、恥ずかしいからとゴネたような人間なので、着物をきちんと着る事は出来ないのですが……。
自分が着たいように、遊び心一つで身につける何ちゃって着物は、自分を限りなく自由にしてくれる気がします。

何よりも、これを着ていると幼少の頃、とりわけ私を可愛がってくれたハイカラだった博多の祖母が喜んでいるような気がします。私が高校生の頃、急に認知症になって様変わりした祖母のことを、同一人物だと受け入れられたくなくて避けてしまった事へのせめてもの罪滅ぼしになっていれば良いのですが。

丸窓梅林に思いがけず早く咲いた梅を見上げながら、ふとそんな事を思いました。

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