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【番外】神頼みをした話

「苦しい時の神頼み」という言葉がある。
ある時わたしは、とある神社に行った。
購入した、宝くじの束を握りしめて。

その神社は、別段金運向上の神様様という訳ではない…が、仕方がない。
最寄りだったのだ。
神様というものがいるのであれば、例え専門外のことであっても、話に耳を傾けてくださるくらいするだろう。

さて、神頼みである。
普通であれば、必死に祈るであろうか。

「コノ タカラクジガ アタリマスヨウニ」

―いや、そうじゃない。
わたしの考えでは、こうだ。

まずはわたしの身の上話から聞いて頂こう。

そう。神様と言えど、ただで他人の願いを聞き届けてくれる道理はないはず。
なにしろわたしは、何者でもない。
その神様には縁もゆかりも無い人間なのだ。
そんな「赤の他人」の願いを聞いて、何がしかの「細工」をして頂かないといけないわけだから、それはもう、ただお願いするだけではだめだろう、と。

わたしは神様に向かって、語りかけた。
わたしがこれまで、どんな目に遭ってきたのか。
それはもう、懇々と。詳細に。

―神様。
もし神様がいるのなら、わたしの話を聞いてください。
わたしは小さい頃からずっと、父から虐待を受けてきました。
主に精神的、経済的な。
大人になった今では「距離をとる術」を覚えましたが、不思議なもので、完全には逆らえないのです。
きっと、心のどこかが支配されているのでしょうね。
せっかく父から離れて暮らしていたのに、まんまと口車に乗せられ、呼び戻され、家に戻されました。
それなのに父は、わたしが自分の思い通りにならないと言って、わたしを不法侵入者扱いしたのです。
自分が生まれ育った家にいるだけで、実の父親から、不法侵入と言って騒がれ、弁護士経由で立ち退きの通告書を差し向けられるなんてことが、あってよいのですか。

こういう父親なので、子供のころは本当に苦労しました。
小さいわたしには自分を守る力がないので、いいようにされっぱなし、言われっぱなしです。
ひとりっこなので、一緒に戦ってくれる兄弟もおりません。
ただ、わたしには母がいました。
母も父の前では無力でしたが、それでも出来うる限り、わたしを守ってくれました。
父親がくれない分の愛情と、優しさをくれました。
わたしは母が大好きです。
一番気の合う友人であり、心を委ねて安心できる姉妹のような、そんな母親でした。

でも、母はもういません。
ずっと一緒にいてほしかった。
話したいことも、したいことも、まだまだたくさんあったのに…。

母が病に倒れたころ、わたしは離婚をしたばかりで、完全に心を病んでしまっていました。
病気で働けなくなったのに、ぽんとひとり放り出されてしまった…不安と絶望で、失意のどん底にいたのです。
そんなわたしにとって、心の拠り所は母しかいませんでした。
母は泣いて過ごすわたしを励まし、世話を焼いてくれました。
情緒が安定しないので、わがままを言っては「いい歳をして迷惑をかけている」とさらに泣きましたが、母は

「あんたは小さい頃から手のかからない子だった。なんでもすぐにできたし、大きな病気にかかるようなこともなかった。普通の子であれば言って当然のわがままも言わない。あれをして、これを買ってと言わない。お母さんはね、普通のお母さんであればしているだろうな〜という子育ての苦労をしたことが無いのよ。だからね、その時の分だと思えば、あなたの世話をすることくらいなんてことないし、むしろ、させてくれて嬉しいとさえ思ってるの。迷惑だなんて、これっぽっちも思っていないのよ。」

そう、ニコニコと語りかけてくれました。
そして数か月もせず、母は亡くなりました。

唯一の心の拠り所さえ、失ってしまいました。
もはや精神のバランスを保つことなどできません。
そこからは引きこもり生活の始まりです。

一切、外との関わりがなくなりました。
離婚騒動で傷ついて、母を失って、本当に独りぼっちになって、いよいよ本格的に、これからをどうやって生きていかれるのか分かりません。
とにかくその頃のわたしは何かに依存(わたしの場合はネットゲームでした)していなければ、自分を保つこと― 日々をやり過ごすことさえできませんでした。
ベッドの上か、パソコンの前を行き来するだけの生活。
外に出ない、室内でさえほとんど動かないので、心だけでなく身体もどんどんおかしくなっていきます。
母が残してくれたいくばくかのお金があったおかげ、と言えばおかげですが、わたしはただひたすらにそれを食いつぶしました。

「廃人」だったと思います。

そうやって数年を過ごしましたが、なんとか社会復帰できるまでに状態が落ち着いたころ、今度は父が自宅で首をつって死にました。
理由は分かりません。
前述のとおり、わたしと父の関係は最低最悪だったので、悲しいという気持ちこそありませんでしたが、代わりに「なんてことをしてくれたのだ!!」という思いが、まず湧いてきました。
発見者は未成年でした。
何と言っても、その子に一生消えないトラウマを植え付けてしまった。
身内でもないのに。
さらに「コト」は実家敷地内での出来事だったので、いろんな意味での「後処理」が大変です。
田舎ですから近所からの風評にも影響します。
何も知らない噂好きの近所のおばさま方は、きっとわたしのせいだと思ったでしょうね。(以前から父は、被害者面でわたしの悪評を近所に触れ回っていました。)

わたしからすれば、本当にいろんな意味での「業」を残しただけの身勝手な行動。
やっと社会復帰をして、リハビリ状態のようなわたしに、まだこんな業を背負えと?
死んでもなお、まだわたしを苦しめるの?一生?
文句さえ言わせないとは、これほどの精神攻撃があるでしょうか。

これは、わたしの苦しみのほんの一部です。
遡ればキリがないですが、たった数年でもどんな思いで過ごしたかわかりますか。
何度自分の人生に絶望したかわかりますか。
毎日死にたい死にたいと思って過ごす日々が、どれほどの地獄かわかりますか。
「事実は小説よりも奇なり」なんて言いますが、こんな「バレバレの嘘」みたいな出来事が本当に現実なんでしょうか…。

神様。
話はそれだけです。

「わたしはこんなにも苦労をしました。」
ただそれを伝えただけです。

さて、ここに宝くじの束があります。

…どう思う?????

「どう思う?」
最後はそれだけを声に出して、わたしは神前から立ち去った。
もちろん、二礼二拍手一拝の儀礼は怠らない…が、わたしは「お願い」ではなく、「圧」をかけたのだ。神様に対して。

しかしそれにしても、不幸なことにかけては、冗談みたいなことが次から次へと起こるというのに、とかく「幸せ」や「奇跡」というのは、なぜ容易には手に入らないようにできているのか。
あんなにも細かく自分の身の上を語って聞かせたにも関わらず、結果は惨敗。
一発逆転ホームランを狙った宝くじは、ただの紙くずに―。
全く失礼な話だ。
わたしがこれまでに受けた苦しみたるや、到底金額になど変換できるレベルではないというのに、それをたかだか数億程度で手を打ってやろうと言っているのだ。
そう、こちらは譲歩しているのだ!
にも関わらず神様というやつは、なぜ宝くじを当てる程度のことも聞き入れてくれないのか!!
はぁ~、神様なんて〇〇!
二度と〇〇〇〇!!!

―と、お門違いでも、悪態をつくくらいは許してほしい。
何しろわたしにとっては、それなりの金額をはたいて用意した宝くじだったのだから。

神様がいるのかいないのか、神頼みに意味があるのかないのか、それは議論をしても仕方のないことなので置いておくが、少なくとも人は、やれるだけのことをやって、いよいよとなったらもう運を天に任すしかないのだ。
くじなどはその最たるもので、結果を自分の努力でどうにかできるものではないのだから、せいぜいできることと言ったら、それこそ神頼みをするくらいのものだろう。
最近でこそほとんど宝くじを買うことをしていないが、またそのうち一発逆転を狙うとしたら、やっぱり神頼み― もとい、自分の身の上を語りに行くかもしれないなと思う。
ただその時は、もっと長い話になりそうだけど。
わたしのことだから「そういえばあの時~ こんなに話したのに~」と、ネチネチ絡むところから始めるかもしれない!!

…って、ああそっか。
もしかしたら、そういう下心丸出しの心根を見透かされているのかもしれないな…。

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