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クリープハイプのトリビュートアルバムがカスな件について

 散歩に行く。八月の明朝。大通りを征く。都会特有の気怠い外気の中、出来立ての太陽がぎこちなく町へ降っている。ゴミ袋を突く血まみれのカラス。皮の剥がれたエナメル鞄を持つ学生の群れ。取り込み忘れた洗濯物のあるベランダ。坂道の先にある下手な落書きみたいな形の入道雲。そんなもの達に太陽がぎこちなく降っている。
 それはなんだか気まずい光景だった。知らない人にいきなり手を振られた時のような、そんな気まずさのある光景だった。手を振られ、段々近づいて来られて、肩を触られた時のような気まずさ。しかも向こうは僕を知っている事を確信しているらしい。何だかな。うん。こうなると本当に、気まずい。タチが悪いことに、僕が酔っ払った時に絡んだ事があるとかないとかで、本当に向こうだけ僕のことを知っていたりする事もあるからどうしようもない。そうだった場合、僕の一方的な事情で逃げると失礼になってしまうので、僕は曖昧に立ったまま、相手の好きなようにさせるしかない。本当にコイツは知り合いなのか、と訝しがりつつ。
 ……だがまあなんだ、ただ手を振って、軽く挨拶するだけで済むのなら、知り合いだろうが、知り合いじゃなかろうが、別にいいのだ。どちらだったとしても失礼にならない、無難な返事をすれば短く済む。相手もこちらも、あまり損はしない(得もしないけれど)。だが、時々なぜか、ごくごく親しい仲のような語り口で僕に語りかけてくる人がいるから困りものである。ううむ。百歩譲って僕と彼が一緒に飲み、ちょっとした付き合いがあったのだとしても、そんな親しさを振り撒かれる筋合いは無いと思うのだ。そういうのはキチンとした友人たちとの間で交換するべきもので、僕のようなちょっとした人生の端役に分けるべきものではない。彼はもう少し、自分の人生の重要さについて考えた方がいい。ハムレットが一市民にわざわざ話しかけて劇を止めたりするかい? だがシラフの僕に反論するだけの気力は無いので、薄笑いしながら愛想を振りまいて誤魔化してしまう。ああ、臆病者だなあ、俺は、と憂鬱になる。一体この会話で誰が得をするんだろう。分からない。ともかく彼が語りかけてくる。

「久しぶり。最近どうよ。なんか元気なさそうだけど」

 どうもこうも、ない。元気なんかあるわけも、ない。こっちは掃き溜めみたいな街に吸い殻とゲロを落として帰るのを日課にしているのだ。調子がよくなるわけがない。だけどしょうがないのだ。それくらいしか趣味がないのだもの。昔は映画館を回るのも好きだった。だけれど、居酒屋で親しくなった女に「映画へよく行く」と言った際に、「でしょうね(笑)」と返されて以来、行っていない。「でしょうね」。効いちゃうね、ホント。パッキャオの左フックくらい効かされた。慌ててクリンチしたら迎えに来た彼氏にボコボコにされたっけ。全体的にカスの思い出。

「ぼちぼちすね。アナタこそ、どうですか?」

 こういうしたくもない会話をしている時ほど無駄な時間も無い。ハロー、ハロー、ハウアーユー、アイムファイン、ハウアーユー、アイムファイン、センキュー、センキュー。全部無駄。ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』でも聴いてるほうがまだマシ。シャグスでも良い。僕が高校生の頃に書いた本当に何の面白味もない小説の朗読でも良い。いや、それは止めて欲しいかもしれない。ちょっと思い出したくない。原稿用紙にきったねえ字で書いてた短編。書き出し。「結局ぼくは何処に行き着くのだろう。何処で消えてくのだろう。何処で満足するのだろう。分からない。何も分からない。なのに貴方は口づけてくれない」。うあああああ!!! 頼む、誰か刺し殺してくれ、その文を書いてる奴を、今、すぐ。うああ、ああ!!!!!!!!!

 ……こういう風に僕がグダグダ内的葛藤をしていると、したくもない会話というものはいつの間にか事務的に終わっていたりする。不思議なもんだ。相対性理論ってやつだと思う。なんかよく分からんが、なんか時間はグネグネしてるらしいし、体感時間もグネグネしてるらしくて、そんな感じだ。大体の場合、人と話す時の僕はグネグネしてるから、多分そのせいで時間もグネグネしてるんだろう。そんな感じだと思う。非常にそんな感じな気がする。ピース。グネグネ。人の目が見れないからなんだ、僕がグネグネしてんのはね。バカみたいな話なんだけど。

「うーん、もう話すこともねえや。アイムファイン、センキュー!」と手を振る彼。

「グッバイ、ファッキンセンキュー!」今日一の返事をする僕。

 バイバイ、恐らくは一夜限りの親しい人。また酒でも飲もう。僕はそろそろ散歩に戻るよ。ウォーキング・イン・ザ・リズム。街を歩く。シド・バレットのソロアルバムを流しながら。歩く、歩く、歩く。シドバレットのソロアルバムを流しながら。正直、あんまり良さが分からない。分からないが、誰かに感想を聞かれたら「良かったよ」と答えると思う。見栄っ張りだから。分かってる奴感を出したがってしまう。僕が心の底から良いと思っている音楽は『夏の終わりのハーモニー』だけで、後は大体雰囲気で聴いてるのに。因みに嫌いな音楽はクリープハイプのトリビュート。アレはクソ。マジで。「俺って結構クリープハイプ好きだったんだ」と変な再認識をさせられた。アレは一体なんなんだ。
 最悪なのは『栞』。てかそもそもクリープハイプの曲じゃねえしな。『ABCDC』は悪くないけど、インディゴ過ぎ。だったら『緑の少女』聴くよ。『スイートスパイダー』でも良いけど、ともかくそのへんを。あと『社会の窓』は正統派シンガーに歌わせるのが正解だと思う。あのとヨルシカは場所変えた方がいいんじゃないでしょうか。『二十九、三十』はね、うーん、まあね、悪くはないんだけどね……。銀杏BOYZがもうかなり完璧なの出してるからなあ。もうちょっとこう、それを乗り越える気概みたいなもんを見して欲しかった気が。なんだかな。いやしかし、下らないことばかり考えているな、俺は。どうにも。

 そうこうするうち、朝が終わっていく。大通り。太陽もそろそろ街に慣れて、新人教育が出来るくらいにはしっかりと世界を照らしている。大通り。赤信号を待つ。横に停まった幼稚園の送迎バスから、子どもたちが手を振ってくる。そして僕に何か、多大な期待を込めた目線を投げかけてくる。犬に「おて!」と叫んだ時のような、経験的な失望に裏打ちされた期待を僕に向けてくる。しかし大抵の場合、犬はおてが出来ないし、街行く人も手を振り返したりはしないのだ。「今回こそはと思ったけど、やっぱりなんもねえじゃん」。そういう失望を重ねて、彼等は大人になっていくのだ。
 でもどうだろう。たまには、ちょっとした希望を、ほんのささやかな希望を、あげたっていいんじゃなかろうか。赤信号。彼等は未だに飽きることなく手を振っている。汗まみれの僕。とても緊張している僕。緊張をほぐしがてら、煙草でも吸って、そのまま手を振ってやろうか。でもなあ、煙草はなあ。最近コンプライアンスが厳しいからなあ。なら下を向いたままでも、ちょっと踊ってやろうか。それも変人扱いで通報か。ピース。ピースをしてやろうか。そんくらいなら、誰も僕を怒ったりしないだろうか。そんくらいなら、緊張してても出来るだろうか。ピース。それも、でっかいピース。明るい、太陽のような、素晴らしいピース。希望の、たまの希望の、人生に在るべき希望の、象徴のようなピースを。よし、よし。やるぞ、やるぞ、やるぞ!

「ピース!」

 でもダメだった。例の相対性理論だ。大通りは青信号。バスは次の交差点を右へ。虚しいピースはホンダの小型車に乗ったカップルに一瞥されて、すぐに無視されてしまった。恥ずかしい。大通り。ああ。そろそろ家に帰ろうか。太陽がいよいよ暑い。恐らく朝早くからあくせく働き続けた結果、結婚願望はあるのに婚期を逃した一番厄介なタイプのお局になってしまったのだ。経験人数は三人。相手はいずれも既婚者。ダメな恋をする自分に酔っちゃうタイプ。そうなったらオシマイだわな。そりゃ夏も暑くなるわけだ。でも、いいよ。もういいんだ。僕は赦そう。全てを赦そう。知り合い面してくる他人も、そいつとするつまらない会話も、居酒屋のエロい女も、僕を死ぬほどボコボコにしてきたその彼氏も、しょうもない過去の小説も、エセ相対性理論も、ルーリードの『メタル・マシーン・ミュージック』も、クリープハイプのカストリビュートも、投げやりに期待を振りまく幼稚園児も、ピースを無視したカップルも、お局と化した太陽も、全部を赦そう。夏の散歩。無駄ばっか。でもいいよ。そんな僕も赦してやるんだ。もう家に帰ろう。そんでまずは昔の小説を燃やす。それから誰かに電話をかける。新宿かどっかに飲みにいく。乾杯。一時間ほど話し込む。くだらない将来の話なんかをする。だけどだんだん、話す事がなくなってくる。手持無沙汰をタバコで誤魔化し合うようになる。そうなってきた頃に、僕はとっておきの議題を持ち出す。

「ねえ、ちょっとマジで話したいことがあんだけど」

「マジな話なんかしたとて、だろ。もうちょっと人生にマジになってから出直してくれ」

「ところがなあ、コイツはマジのマジで、マジに話さなきゃならんのさ」

「ふうん。なら、ま、概要だけは聞いてやらんことも、ねえよ」

「まあ、つまりね。今日話したいことってのは、実に単純な事なのさ。つまり、だね、ある音楽的事情なのだ。ある音楽的事情が、別の音楽的事情と触れ合った際に、如何なる効果が起きるのが適正か、という事についてなんだ」

「なげえよ。まとめろ」

「クリープハイプのトリビュートアルバムがカスな件について」

 完。

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