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愛の嵐 -- THE NIGHT PORTER --  2008-04-06

何が望みと訊かれて
幸せが望みと答えて
たとえ幸せになれても
きっと昔が懐かしくなる

映画「愛の嵐」の中で主人公のルチアが歌った。

収容所のパーティーで・・・
ナチの軍帽に上半身は裸、ズボンをつるしたサスペンダーが、あまり豊かとは言えない乳房にかかる。
男達の間を縫うように歩き、歌った。

映画は見たことなくても、この映画の衝撃的なポスターは目にした人は多いだろう。

少し前に「愛の嵐」を先日劇場で観た」というメッセージを知人からもらった。この映画を今この時代に劇場で観られるなんて。私の心は湧いた。こういう時、東京に住む人がうらやましくなる。

でも、実際劇場に観に行ける状態だったとしても、私には観る勇気はないだろう。私には痛すぎる、痛すぎる愛の形だ。いや、愛じゃない。愛とは呼べない。

ユダヤ人の生死を自由にできる立場のナチス親衛隊将校だったマックスは、ゲームのようにユダヤ人の命をもてあそんでいた。
遊園地の回転ブランコに乗って高く上がっていきながら大声を上げる子ども達が映る画面に「ナチスの人も優しいんだ、ユダヤ人の子ども達を遊園地で遊ばせているなんて」などと感心していた私は、次の瞬間に凍り付いた。
マックスは、その回っている子ども達を標的にして銃を撃ち、楽しんでいたのだ。
次々と目の前で人が殺され、自分の命もまた明日消えてしまうかもしれない。いつも死と隣り合わせ。
少女ルチアはマックスの性の対象に選ばれたことで命を拾う。

平和になった世の中で、再会してしまう二人。
男はホテルの夜間受付。女はオペラ指揮者の妻だ。
女は幸せな「今」を捨てて、不幸な「過去」へ堕ちていってしまう。

何が望みと訊かれて
幸せが望みと答えて
たとえ幸せになれても
きっと昔が懐かしくなる

私のような性格の人間は、映画鑑賞を趣味に持つべきではないなぁと、こういう映画を見た後に必ず思う。哀しみを収めることができあい。ずっと後を引いていつまでも忘れられないのだ。
フィクションをフィクションとして捉えられず、くよくよとため息をつく。
なのに、そういう映画ばかり選んでみてしまう。やるせない。

絶対忘れられない、でも二度と観ることができない「愛の嵐」。
できることならその一回を劇場で観たかったと思う。

ラストシーンは浄瑠璃の道行きのようだったと書いている方がいらっしゃった。

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「愛の嵐」 (原題「NIGHT PORTER」)[1973/アメリカ・イタリア合作/1h59]

監督:リリアーナ・カバーニ
出演:ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリング、フィリップ・ルロワ


#愛の嵐 #映画 #リリアーナカバーニ #シャーロットランプリング
【散在していた書いたものを少しずつnoteにまとめています。】


 

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