見出し画像

宝塚ガーデンフィールズ跡地のランドスケープ

 今日は、故郷である宝塚のランドスケープの一つである、宝塚ガーデンフィールズの庭「Seasons」を通して、ランドスケープに対する想いを書いてみたいと思います。前回、原風景に関する体験として、阪神淡路大震災についてふれました。震災はもちろん恐ろしい経験ですが、私にとって、宝塚ガーデンフィールズが忽然となくなったことは、天災ではないだけに、割り切れない想いがあります。複雑な想いをまとめるのは億劫な気持ちもあるのですが、未来を見据えるためにも必要だと思ったので、綴ってみようと思います。
 宝塚ガーデンフィールズは、2003年から2013年の10年の間オープンしていたのですが、それ以前の宝塚ファミリーランド時代まで遡ってみようと思います。

宝塚ファミリーランドという原風景

 私の幼少期から小学校時代までの、特別なお出かけといえば、宝塚ファミリーランドだったような気がします。宝塚歌劇団に隣接しており、華やかな原風景でした。USJのオープンによる集客の減衰が原因か、2003年でファミリーランドは閉園します。このとき、私は高校・大学生時代で、USJやディズニーリゾートに行きたいお年頃でした。宝塚ファミリーランドにノスタルジックな想いもありつつ、「仕方ないよな〜」くらいの感覚だったと思います。その後ファミリーランド跡地は、再開発され、その一部である宝塚ガーデンフィールズに、「Seasons 〜シーズンズ〜」という庭が創られました。宝塚ファミリーランドにはかつて植物園があり、そこにあった大温室の建物や日本庭園は形を変えつつ宝塚ガーデンフィールズに引き継がれることになります。

幻の10年の庭「Seasons」

 この庭はガーデンデザイナーのポールスミザーさんが作庭したパブリックガーデンで、英国式ナチュラル庭園として造られました。この頃、私はまだ庭に興味はなく、ポールスミザーさんも知りませんでしたが、宝塚を訪れたらなんとなく行っていました。とにかく広い庭で、ごてごてに作られた感じがなく、懐かしくて気持ちいい場所、それが私にとってのSeasonsでした。

 庭と手塚治虫記念館の裏手の景色、風にそよぐ名前も知らないグラス、スタッフの方が教えてくれたカレーの香りのするハーブ、カーブする小径、宝塚ファミリーランド時代からの優雅な大温室のノスタルジー、、、派手ではないその庭は、些細だけれど美しい記憶を私に残していきました。

 ちょうど2013年頃に宝塚に戻ってきたとき、庭がなくなったことを知りました。阪急が採算が合わないことから土地を売却し、Seasonsの一部は宝塚市の所有になったそうです。宝塚市所有の部分については取り壊しに対して、特に反対運動があったようですが、それも虚しく、結局庭は全て取り壊されてしまいました。10年足らずで私が知らない間に、その風景があっさり失われたことに、寂しさを感じました。ガーデニングファンでなくとも、なんとなく地元のスポットとして訪れ、密かに癒やされてきた宝塚の風景。そこには、大きなニトリが建っていました。

風景と時間スケール

 Seasonsの閉園から7年経った今年2020年4月には、跡地の一部に「文化芸術センター・庭園」がオープンするようです。新しいガラス張りのモダンな建物が建ち、庭園については、Seasonsを引き継ぐ部分もあるものの、基本的に更地にして、新しいコンセプトで造られているらしいです。

 ランドスケープに興味がなくても、私はこの場所を幼少期から大人になるまでなんとなく見てきました。【なんとなく】のものは、数字にもお金にも表現されなくて、なくなっても早急に困るわけでもなく、簡単に壊されます。変わっていくことは決して悪いことではなく、例えば、跡地に経ったニトリも多くの人の役に立っているだろうし、これからオープンする庭園に癒やされる人も出てくるだろうし、新しい状態の方を、好む人が多くいるのも理解できます。それでも、あの庭や木やファミリーランドの温室の風景が失われたことに対する違和感を感じます。10年という短い時間スケールで意義や損益を判断して、風景をほぼ更地にしてしまってよかったのか?という点に対する違和感です。

 残す風景と変える風景の時間スケールをどう考えるべきか。また、どの風景を残していくのか?私が生きてきた、たかだか30年の間に、めまぐるしく風景を変えてきたこの場所が、考えるきっかけを与えてくれているのかもしれません。物がこれだけ豊かに溢れ、これだけ便利になった今だからこそ、自分さえ豊かで楽しければいいや、という価値観を超えて、考えたいと思います。

昨年10月、ガーデンフィールズ跡地を訪れた際の開発構想の看板

西宮ガーデンズというショッピングモールの屋上庭園に、ガーデンフィールズから移植されたニューサイランの鉢植えがありました。Seasonsにはニューサイランが多く使われていたようです。なんとか残したいという人々の想いが伝わってきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?