日本アイスホッケーの歴史(3)

2007‐08シーズンは中国チームが浩沙は、長春富奥を吸収し、中国浩沙と改称したが、開幕直前にNHLのサンノゼ・シャークスとの業務提携により誕生した「チャイナ・シャークス」として参戦。これにより中国チームは1チームとなり、アジアリーグは7チーム体制となる。
日光神戸アイスバックスは運営会社が撤退し、チーム発足以来3度目の変更となる「栃木ユナイテッド」が運営する事となり、日光と神戸のダブルフランチャイズも終了し、HC日光アイスバックスと改称。サッカー解説者としても著名なセルジオ越後氏が、フロント入りし、シニアディレクターとなる。
また韓国のカンウォンランドはHigh1アイスホッケーチームに改称した。
この年のレギュラーリーグはSEIBUプリンスラビッツが1位、しかし2位には3ポイント差でHigh1が大躍進。王子製紙は3位、日本製紙クレインズは4位となった。プレーオフでは3位の王子静止がHigh1を、4位の日本製紙クレインズがSEIBUプリンスラビッツをそれぞれ下し、下剋上の様相。
プレーオフでは王子製紙が3連勝で日本製紙クレインズを破り、実に1993-94シーズン以来ののチャンピオンとなった。

2008-09シーズンは前シーズンと同じ7チーム体制。この年から王子製紙は王子イーグルスと名称変更となった。
この年、長きに渡り日本アイスホッケー界を牽引してきた西武グループがリーマンショックの影響で撤退する事となり、2008年12月にSEIBUプリンスラビッツの廃部が発表された。移転先やクラブチーム化はならず、ついに日本のチームは3チームだけとなり、日本リーグ黎明期からチームを維持しているのは王子製紙だけとなってしまう。
このシーズンはレギュラーリーグでアニャンハルラが初の1位となり、韓国が日本に追いついたシーズンとなった。HC日光アイスバックスの経営難は解消されず、給与遅配などもありレギュラーリーグでもチャイナドラゴンを上回れず、最下位に低迷。プレーオフファイナルではSEIBUプリンスラビッツと日本製紙クレインズの対戦となり、もつれこんだ第7戦でクレインズがラビッツを振り切りチャンピオンとなり、SEIBUプリンスラビッツは有終の美を飾ることはなかった。これもリーグの歴史なのだろう。

2009‐10シーズンは新たにスポーツゼビオを親会社とした東北フリーブレイズが新たに加入し、日本の4チーム体制は維持された。前年経営危機に陥ったHC日光アイスバックスはフロント人事の刷新が行われ、日置貴之氏が取締役兼マネージメントディレクターに就任し、経営体制強化されHC栃木日光アイスバックスとなる。また中国のチャイナシャークスはサンノゼ・シャークスとの業務提携は1年で終了し、チャイナドラゴンに改称する。レギュラーシーズンでアニャンハルラが昨シーズンにつづき1位。プレーオフファイナルでも日本製紙クレインズを3勝2敗で退け、アニャンハルラが初のアジアチャンピオンとなるエポックメイキングなシーズンとなった。

2010-11シーズンも同じチームが参戦しているが、前年参入の東北フリーブレイズがレギュラーリーグで3位、アニャンハルラが4位であったが、プレーオフファーストラウンドでレギュラーリーグ1位の日本製紙クレインズ、2位の王子イーグルスが共に1勝3敗で敗退し、ファイナルは東北フリーブレイズが初優勝をかけてアニャンハルラとのプレーオフの対戦に。しかし3月11日に発生した東日本大震災により、プレーオフファイナルの開催は中止され、両チームがシリーズチャンピオンとなった。

2011-12シーズンは震災の復興のさなか、各チーム6試合総当りの1チーム36試合のフォーマットで開催。レギュラーリーグは王子イーグルス、日本製紙クレインズ、HC栃木日光アイスバックス、アニャンハルラ、High1、東北フリーブレイズ、チャイナドラゴンの順位。このシーズンはチャイナドラゴンが1勝もできなかった事(延長戦での負けが1試合あるため、勝ち点は1)、HC栃木日光アイスバックスの選手補強が成功し、特に外国人プレーヤーのデイブ・ボンクとアンドリュー・コゼック選手が大活躍して、リーグ3位に躍進した。
プレーオフは王子イーグルス、アニャンハルラ、HC栃木日光アイスバックス、日本製紙クレインズの4チームで争われ、日本リーグ時代も含めて初のプレーオフファイナルにHC栃木日光アイスバックスが進出したが、王子イーグルスが3勝1敗で退け、チャンピオンとなる。

つづく

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