見出し画像

【俳句】夏至 梅雨寒 沖縄忌〜萃生

濡れ傘を払ひて立ちし夏至の人

梅雨寒や探偵物の二、三冊

知らぬ日の知らぬ空知る沖縄忌


身の程も知らずに俳号というものを考えてみた。
父が生前、巧生という俳号で俳句をやっていた。
若い頃に俳句を初めていたが、家庭を持ち、子供が生まれてからは遠ざかったと聞いていた。
定年後は、また俳句を始めて欲しい。
父が心配事などなく、俳句に専念できるようにしたい。
それが息子としての願いだった。
定年後の父は、息子が願うまでもなく、俳句を精力的に作り始めた。
結社に入り、よく句会、吟行だと出掛けるようになった。
自宅で若い人を集めて指導をしているのを見たこともある。
色々な賞にも選ばれていた。
おーいお茶のペットボトルにも掲載された。

ただ、僕自身は、若い頃から、俳句に積極的に関わることはなかった。
たった17文字で、この人生の何が言えるんや。
ドストエフスキーの苦悩が、17文字で表現できるんか。
流れゆく大根の葉が、それがどうした。
古池にもかえるは飛び込むやろ。
まあ、あんなのはお年寄りのお遊びみたいなもんや。
そう思っていた。
僕は俳句なんか、やらない。

ただ、実家に帰ると、いやでも父の話を聞かされる。
この俳句がここに載ってるんや。
これが、これに選ばれたんや。
今週はこことここに、教えてくれと呼ばれてるんや。
来月は、表彰式でここまで行かなあかん。
本人が嬉しそうに話すので、こちらも仕方なく聞いている。
そんな中で、父が若い頃に作ったという句、

夕立の余滴定年教師と犬 (表記は定かではない)

これを知った時に、目の前にその光景が鮮やかに浮かんできた。
雨上がりの夕方。
電線から、その雫がぽたりと落ちてくる。
そこに、1人の老人が犬を連れている。
犬は多分柴犬で老犬だ。
老人の歩みも犬のそれも遅い。
そして、その老人は定年教師なのだ。
そうでなければならない。

その時に、僕は思った。
17文字で人生を描けるかもしれないと。

それでもなかなか始める決心がつかないままに、昨年、その父が亡くなってしまった。
今では、父の蔵書を漁って勉強している。

俳号の話から逸れてしまった。
決めた俳号は、萃生。
萃生の萃は、膵臓、膵炎の膵だ。
僕は、2年前に前の会社を退職する直前と、つい先日に膵炎で入院した。
今は、手術を勧められて検討中だ。
色々と食事制限もある中で、自分を戒める意味もある。
ただ膵では煩わしいので、月をとって萃。
これに、父の俳号の巧生の生をもらって、萃生、すいせい。
なかなか良くないだろうか。
彗星みたいで気に入っている。
それなら、俳号もややこしいこと言わんと彗星でええやんとつっ込まれそうだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?