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理髪店のスケッチ

日曜の夕方。私はうたた寝から覚めると、散髪屋に向かった。三分ばかり歩き、店の外から覗き込む。順番待ちの椅子に客は見えない。安心して店に入ると、先客は一人もおらず、おかみさんがタオルか何かを畳んでいた。

「いらっしゃいませ。」促されるままに椅子に座ると、さっそく首周りにタオルを巻き、シートをかけてくれる。大概、近所の散髪屋は夫婦で切り盛りされ、髪を切るのは亭主の役目と決まっている。おかみさんは、奥で休んでいるであろう亭主が出てくるまで、整髪料が軽くぬられた髪を蒸しタオルで湿らせ、櫛でほぐし続ける。

私は店内が明るく、正面はガラス張りの理髪店を好む。壁は全面白塗りが一番いい。自らが髪を切られる姿を外から見られるのを嫌い、店内が見えにくい所を好む向きもあるだろう。しかし、私は何の影響か列に並んだり長時間待たされることと、薄暗い空間が苦手だ。だから私にとっては入る前に中の様子が覗きやすくなくてはならない。また、鰻の巣のように間口が狭く、奥まで光が届かないような散髪屋には緊張して足を踏み入れる気にならない。

さて、亭主が出てきて挨拶をしてくる。私も「こんにちは。」と返す。あとは言語的コミュニケーションは散髪完了まで行われない。通いはじめの頃は「どのようにしますか。」程度の質問はあった。私の髪には若干の癖があり、下手に切られると向こうひと月、憂鬱感に苛まれることになるので、質問には丁寧に答えていた。だがもちろん、理髪店では何も聞かれずに切りはじめるのが一番だ。他所から移ってきた私にとっては楽なことではなかったが、何とか顔を覚えてもらえる程度にはなった。

店の中にはAMラジオから日曜夕方の番組が流れている。私は平日でも時間が取れるし、土曜日に来たっていい。しかしラジオのことを考えると、やはり日曜の夕方がベストである。この時間帯には、世界各国の生活や文化を現地から報告してくれる番組が流される。下世話な話を延々と聞かされながら一時間、身動きが取れなくなるのはレトリック抜きで拷問だ。このことに気づくまで、私は長い時間がかかった。何事も学ぶのに時間がかかる質である。

髭を剃り、シャンプーで細かな髪の切れ端を洗い流す。ここは、おかみさんの出番だ。洗髪後、顔にクリームを塗って髪を乾かし、整髪する。客としてはここまでで十分にも思えるが、儀式の締めとして、亭主が最後に二、三箇所、鋏を入れる。ここでようやく、亭主の顔に笑顔が浮かび、「これでよろしいでしょうか。」と声が聞こえる。文の形式としては疑問文であるが、その役割は当然、質問などではない。料金に含まれる作業が全て終了したことの宣言である。だから私も儀式の一部として、「はい。ありがとうございます。」と返し、椅子から降りる。

そこから真っ直ぐ計算台へ行く。おかみさんが釣り銭の百円玉を持って待ち構えているので、千円札三枚をすばやく財布から出し、百円玉と交換する。そして挨拶を交わしながら店を出る。そして外の空気を思い切り吸い込む。

四つ角にある店の向かいには、自販機が並べられた小屋がある。酒類もあるが、迷わず一缶五十円のコーヒーを買い、その場で封を開けてゆっくりと飲む。床屋の斜向かいには酒屋があり、見上げると酒飲みおやじの立体看板が掲げられている。場違いだが、Man, what are you doing here? と、ビリー・ジョエルの一節で声をかけたくなる。

そんな看板や、路地沿いに植えられた花を見るともなく眺めていると、すぐにコーヒー缶が空になる。あたりは薄暗い。空き缶を自販機小屋のダンボールに丁寧に捨て、家に向かって三分の道のりを、また歩き出す。一週間が終わる。

© Mark Skywalker, 2020.

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