ツイッターって、やっぱ「標準じゃない」って思う。

今日話題の国葬。 興味はあまりないです。賛成か反対かと言われれば、人の税金無駄遣いされるのは嫌なのと、イベントとして海外に誇れるものではないので反対ですが、まあ、どうでもいい。
 こういう事が起きると、ツイッターというものに、賛成反対両方の極論者が現れて、「日本大丈夫か?」と思うとともに、ツイッターって、なんというか、まともな人がつかうツールではないよな、と思う。
 今日酷かったのはこれ

献花に並んだのは1万人なのに対して、反対デモは300人だから、そもそも世論調査が間違ってる。偏向報道だ。賛成派が多数だ!と言いたいらしい。
 統計学・・いや、算数、文章理解、とにかく基礎学力がないのではないか?
 Q1 今日という日に行動した人の比率が、そのまま賛成反対の人口比になるという発想はなんでだ? 
 Q2献花した人=賛成 デモした人=反対 であるなら、献花しなかった人=反対派という事にもならないか?
 Q3 献花に並んだ人1万が賛成派であるなら、「並ばなかった人」というのは、日本の人口ー1万人=が反対派=約一億人だ。
 賛成:反対=1万人:1億 ともいえる。 
理論が自己倒壊していることに発言者が気づいていない。そしてそれを読んだ「賛成派」もしくは「逆張り派」が、勢いづいてリツイートしているのが、ツイッターという世界だ。 おそろしい。
 賛成も反対も所詮その小さな世界の中で自分の都合のいい情報だけをかき集めて、指先だけで行動したかのように錯覚している人の集まりなような気がする。 なので、私はツイッターでもっともらしいことを一日に何度も書いて人とは距離をとる(というかそもそも。犬の話題しか読んでないのであまり目に触れないのだが)

 政府や公的な機関がツイッターをまるでマストツールのように利用してるが、そろそろ考えた方がいいとおもう。 所詮使っている人間には偏りがある。そこから世論を推しはかろうとしても失敗するよ。

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