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ドラマの進行にあわせて「太平記」ゆかりの地を巡る 復習編 鎌倉はどう攻められたか?

皆さま、明日はいよいよ「鎌倉炎上」ですね。
手に汗握る「太平記」は1991年の放送。約30年前ですか・・。そう考えると凄いクオリティですよね。
明日の放送に先立って、NHKの人気番組「英雄たちの選択」の過去放送から「新田義貞」が再押送されました。
やるな!NHKですね。
しかし、激しくネタばれになってるのはいいんですかね?ま、歴史ですから最初からネタバレですけど。
さて、話はもどって、明日の「鎌倉炎上」です。
前回の終盤、登子のお兄ちゃんがピンチ!でしたね。
新田方が3方向から鎌倉に攻めこんできています。

鎌倉map2

今の鎌倉でいえばどこからか、を記載したものです。
ほんとに3か所から鎌倉幕府へむかっているんですね。
さらに拡大図

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明日の主な舞台は、今の宝戒寺あたりにあった高時邸と、「北条高時腹切りやぐら」でしょうね。

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緑の美しい宝戒寺の入り口

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シダに覆われた腹切り櫓。
今はすっかりどちらも観光地となっています。
明日はこの辺りの位置関係を頭に入れてみるとしますか。

余談
「英雄たちの選択」を見ていて、「新田義貞」の本拠地が今の群馬県の太田市だということを初めてしりました。どのあたりなんだ?と調べてみると

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足利の隣じゃん!!!! 隣駅じゃん!!
なるほどーー。そういうことなんですね。子供の頃に小競り合いするシーンもありましたが、これは近所だからあり得る話なんですねぇ。
なるほど
「実家が隣町で、祖先は同じなんだから一緒にやろうぜ」ということなんですかねぇ。 歴史と地理っておもしろいですね。

明日は楽しみましょう!!

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