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ドラマの進行にあわせて「太平記」ゆかりの地を巡る #8 新田義貞が越えた稲村ケ崎

おはようございます。
毎週日曜のお楽しみ、「太平記」
すっかり鎌倉幕府は滅びましたが、このネタはまだ「鎌倉炎上」の回からです。すんません。

稲村ケ崎

「鎌倉炎上」の回で新田義貞が神に祈って引き潮時に乗り越えた「稲村ケ崎」に行ってきました

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この時は満潮だったんで、とても馬では行けねーー!という感じでした。
荒波が打ちつけています。

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稲村ケ崎自体は今公園のような感じになっています。

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こんな銅像もあります。これは近代の水難事故の慰霊碑。
鎌倉末期は海を越えるしかなかったのですが、今はしっかり道路が走っています。

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極楽寺方向を向いた写真です。
やはり山を切り崩しているのがわかりますよね。
これなら行くのは簡単ですけど・・。

それ以外の「新田義貞の足跡」

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稲村ケ崎よりも江の島よりの「腰越」にある「小動神社」
創建は鎌倉初期で、佐々木判官の系統を遡った佐々木盛綱。
この神社で新田義貞は鎌倉攻めの戦勝を祈願したといわれています。
江ノ電の路線図に照らし合わせると

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腰越→小動神社
鎌倉高校前→日坂(切通あと)
稲村ケ崎→海越え
極楽寺→極楽寺の戦い
と、江ノ電を走るルートを鎌倉へ向かって走ると新田義貞のたどった道を再現できそうですね。

戦没者を弔った 九品寺

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和田塚をおりて材木座へ向かう途中に九品寺はあります
小テイなお寺ですが、ここは新田義貞が鎌倉攻めでの戦死者を弔ったお寺と伝わっています。

江ノ電の「のりおりくん」というフリーキップがずっと平日だけでしたが、週末も利用可能になるので、ぜひ鎌倉行脚へ!

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