マズローへの挑戦状20240818ギリシャ編完結

いったんここでこの回は完了。
長くても読みづらいので。

24時間をアナログ時計の文字盤にふると、
昼の12時が上を指し、
夜の12時が下を指し、
夕方の6時が右を指し、
朝の6時が左を指す

アリストテレスの
理性
を上半分に置く

情意
を下半分に置く

ポリス共同体を
理性的な面で結びつける原理が
正義

情意の面で結びつける原理が
友愛

最も大切なのは
友愛

友愛があれば正義は不要
友愛にもとづく和合の実現こそ最大の正義

確かに友愛が隅々まで行き渡っていれば、法律も警察も不要だね


しかし、相対主義を克服しようと、普遍的な真理を追求し、理想を求めた彼らの努力にもかかわらず、ポリスは混乱を深め、マケドニアに敗れるとポリスは独立を失っていく。

これは理性的、理想的な人間、社会を求めても絵に描いた餅で、
実際には人間には感情や欲望がある
天使と悪魔が同時に存在するのが人間だといったところだろうか

天使をプラス5
悪魔をマイナス5
とすると合わせて0にしかならない

そう考えると5の青写真を描いてもしょうがないのかもしれない
夏を目指すのではなく
中庸である春や秋をこそ目指して絵を描いた方がいいのかもしれない

ただ、全てがトレードオフの関係なのか、
トレードオフじゃない関係(win-winとか)はないのか?

トレードオフの部分とトレードオフじゃない部分

相対主義の部分と絶対主義の部分

価値観によりけりの部分と科学の部分(価値観によらずに、誰から見ても、事実として積み上げていける部分)

の両方があり、世界はこのバランスでできているのではないか?

この比率の問題もある。5対5なのか、何対何なのか。

例えば、易経は陰陽☯からなるのだから、10対0の立場をとっているのだろうか。



ゼノン、ストア学派の禁欲主義の
自然を貫く法則と一致するように理性的に意志をはたらかせる、
情欲や快楽にわずらわされず、それらからまったく自由になった境地(アパテイア)、
理性による幸福
を昼の12時に置く

エピクロス、エピクロス学派、快楽主義の
瞬間的で感覚的な肉体の快楽は、外界にいぞんして得られるものであり、結果的には苦痛をもたらす、
真の快楽とは魂の平安、欲望に支配されることのない自己充足、
動揺のもととなる世俗から隠れて生きる、
節制と勇気と思慮にもとづいて生活する友愛の共同体
を昼の12時に置く


このようにギリシャ思想は理性や知恵による善なる生き方、美しい調和的秩序を指向している。
これは後に見ていく、イエスの教えやブッダの教えにも共通するだろう。
四聖と呼ばれる、ソクラテス、イエス、ブッダが指し示す人類のあるべき姿の模範解答かもしれない。
となると、もう一人の四聖の孔子も同じことを述べているのだろうか?

しかし、現実は理想通りにはなかなかいかない。それは誰もが自分の胸に手をあてれば思い当たるだろう。
この世には昼と夜がある。昼しか見てなければ、回答を見誤る。
模範解答としては素晴らしいし、こうありたいと思う。しかし個人も、社会もなかなかそうはいかない。
夜をどう組み込んで、新たな均衡点、新たな解答を導けばいいのだろうか。

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