鬼滅の刃 読了(ネタバレあり)

鬼滅の刃 読了 (ネタバレあり)

鬼滅の刃を読了した。
知人からも面白いとは聞いていたが、流行に疎い私は読むことはないだろうと思っていた。ときどきテレビでやってる2時間物のアニメを見るぐらいだった。それらは、とても面白いなあと思っていた。柱や柱合会議(はしら)(ちゅうごうかいぎ)という言葉に胸が躍った。だが、流行に疎い私は漫画をあえて読みまではしないだろうと思っていた。
しかしである。
劇場版 無限列車編をテレビで見て、続いて、新しいテレビアニメシリーズの無限列車編の完全新作の第一話を見てから、どうしても続きが見たくなってしまった。そこでツタヤで8巻以降を借りてきて読んだ。

一番書きたいことはネタバレの極みであるから書かない。もう一つ書きたいことが一つある。それについてはネタバレになるが書く。

それはラスボスである鬼撫辻無残(きぶつじ むざん)と戦っていて、主人公炭次郎(たんじろう)にやさしさが皆無だったことだ。

今までは鬼に対しても、鬼になってしまった人の悲しみ、そのおいたちに同情するような場面があった。それがこの漫画をここまでヒットさせた要因だった。「やさしさ」が売りだったのだ。
しかし、ラスボス無残に対しては全くなし。はいて捨てるような炭次郎の態度に違和感を覚え、どっちが鬼かわからなくなる(それは言いすぎか)。このように冷たい炭次郎にはなかなかお目にかからない。
無残の主張にも読者としては、納得がいく面もあるのである。「よってたかって俺をしつこく追い詰めてくるのはおまえたちの方ではないか、いいかげんにしてくれ」、「大きな天災に遭遇したと思えばよいではないか。天災に対して復讐しようとは誰も思わないだろう」といった言葉に。
被害にあった人間からしたら鬼は憎くてしょうがいないが、立場を変えて鬼から見たら、そんなに逆恨みされてしつこくしつこく嫌がらせされても困るという話なのだろう。
ふと、思う。人間が主食で人間を食べなければ生きていけない鬼。たとえば我々人間が豚や鶏を食べさせてもらうのと違うのか。人間が豚を食べてその豚の親兄弟たち同じように人間に食べられた他の豚のファミリーたちが、人間に復讐しようと結束して、しつこくしつこく人間を襲ってくるとなると、これはホラー映画さながらではないだろうか。その戦いが千年も続いたら...。
無残も、いいかげんやめてくれと思うのも無理はないのかもしれない。
無残もサイコパス的な性格があり、その点は同情できないし、最後の最後まで夢をあきらめないぞっとするほどのしつこさのようなものもあり、恐怖を覚えて引いてしまうが。
私が同じ立場だったら、どこかの時点で日の光を浴びて死ぬことを選んだと思うが、無残は生きることに対して貪欲で一生懸命だったのだ。サイコパスだし。

ただこれは我々人間に対しても問題提起をたたきつける。食べていくためには、悪いことをしなければ生きていけないのは、大なり小なり我々人類全般も同じだろう。だけどそれを必要悪として、容認して生きていくのである。社会の常識から逸脱したものに対してはおとがめがあるが、常識内のことであれば必要悪としてみんなやっていくし、そうしないと生きていけない世の中である。鬼が人間を食べないと生きていけないのと何か違うのだろうか・・・。

最後に一言、上弦の三の鬼、あかざに対しても、みんな冷たかったと思う。私だったら、「僕はおまえが嫌いだ。だが、俺の力を認めてくれてありがとうな」ぐらいのことは言ったのではないだろうか。あかざは比較的紳士だし、それなりに話のわかるヤツである。

あきらめの悪いものとあきらめの悪いもののぶつかり合い、しつこさとしつこさのせめぎ合い、それがこの面白いお話を作り上げたのである。


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