マズローへの挑戦状③ 非常識超越理論から考える 第二回

2022/11/26/Sat
マズローへの挑戦状③
おっぱっぴー芸術思想家Keith Uさんの非常識超越理論から考える 第二回

キースユーさんの非常識超越理論がある。それを元にいろいろ考えてみた。私の理解が間違っていたらすいません。

そもそもどのような理論かというと、世の中には、以下の四つがある。
常識・・・みんなが常識と考えているもの
狭義のおっぱっぴー・・・常識の中にあるものだが、実は非常識ではないかと疑う人がいるもの
否定的非常識・・・常識の外にあり、非常識とみなされていて、また悪い非常識とみられているもの
肯定的非常識・・・常識の外にあり、非常識とみなされているが、良い非常識とみられているもの
ものごとはこの中を循環したり、消滅したりしているという話だ。

今日はこの枠組みを元に、3つの話題をコラム的に書こう。

●ワールドカップ
肯定的非常識の中のイベントの最大のものとしてサッカーワールドカップがあるだろう。日本では2002年の日韓共同開催以来、完全に市民権を得て、四年に一度の盛り上がりはもはや常識となっている。
そして例えばベスト8になったとすると、それは肯定的非常識としてとらえられるが、それが何度も続いたとすると、いつしかそれは常識となって上位に入るのは当たり前となるだろう。その状態にすでになっているのがヨーロッパの強豪国だろう。
ラグビーワールドカップも数年前の日本開催以来、市民権を得つつある。そして半分常識となっており、我々はラグビーを見るという新たな幸福を獲得したと言える。

●一人一人とオピニオンリーダー
常識を形成するのは誰だろう。一人一人の意識であると同時に、それを誘導するオピニオンリーダーの存在も大きいだろう。オピニオンリーダーが右と言えば、右が常識になっていくのだ。
自分一人ぐらい、とよく思うが、この集合が結局のところ常識を形成するのである。
世の中を変えたかったら、オピニオンリーダーになるか、自分一人であっても意識を変えることが大事ではないだろうか。どちらもなかなか難しい話だが。

 
●悪貨は良貨を駆逐する

↓社会が平和で素晴らしいとき

↓戦争中などで社会が混乱しているとき

この場合は悪貨は良貨を駆逐する形となる。常識が圧倒的多数なので、数の論理で正しい意見が通らなくなる。そしてオピニオンリーダー(肯定的非常識)は、もっと戦え、というような過激なことをいう人がもてはやされるだろう。戦争やめよう、とまっとうなことを言う人は隅に追いやられ、否定的非常識とみなされるだろう。

 例えばイーロンマスク氏のツイッター社買収による、大規模リストラや「激しく働くか退職を」発言などは、日本のワイドショーのオピニオンリーダーは肯定的に捉えた。資本主義なんだから当たり前だと。 

これは今の世の中が下の図になっていることを意味しているのではないだろうか。常識が「今だけ、金だけ、自分だけ」になっており、まっとうな意見、思いやりのある意見、良識は隅に追いやられている。 

そして、その感じ方は人によって異なるということ。右が良いと思う人もいれば、左が良いと思う人もいる。そして常識と反対の主義を持っている人には生きづらい世の中となるだろう。

 ではどうしたらいいのか。考え方の違いで国を分割する?それができたら苦労しないが、難しいだろう。考え方の合う国に移住する?これも普通の人には難しいだろう。自分の身の回りをできるだけ自分の合う世界にすることではないだろうか。例えば家族だったり、友達だったり、サークルだったり。それでも他者が介在する時点で、自分の主義を通すのは難しいので、全くパーソナルな話として、好きなものに囲まれて暮らすとか、推しを推すとかが良いのかもしれない。
飛び道具として、常識を牛耳っている主義に自分が鞍替えするという手もあるだろう。

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