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取らぬ狸の皮算用はダメですか?

「取らぬ狸の皮算用」ということわざがありますね。一般的な言葉のニュアンスを考えると、どちらかというとネガティブに使われることが多い気がします。
しかし、私はこの言葉が大好きでした。
一番テンションのあがる瞬間といっても過言ではありません!

そもそもの意味は?

まずは新明解国語辞典で調べてみました。


まだ実現するかどうか分からないうちに、実現したものとしてあれこれ計画を立てること。
三省堂 新明解国語辞典より

この表記だけでは格別ネガティブな意味合いはないような気がします。
由来を調べてみるとこうあります。

まだ狸を捕らえていないうちから、狸が手に入るものと決め付け、狸の皮がどれくらい取れ、その皮がいくらで売れるか儲けの計算をすることから、「取らぬ狸の皮算用」と言うようになった。
取らぬ狸の皮算用/とらぬたぬきのかわざんよう - 語源由来辞典 (gogen-yurai.jp)

「手に入るものと決めつけ」というところにネガティブなニュアンスが含まれているようです。
しかし計画というものは未来のことを予測して行うわけです。手に入れたものを数えるのは結果であって、計画や予測する以上、今手に入っていないのは当然です。
手に入るに違いないという根拠のない願望だけで儲かると思い込み、
実際に儲けてもいないうちに浪費を始める。
というのであれば確かに浅はかな人と思います。
重箱の隅をつつくような話になっていて恐縮ですが、
このへんのニュアンスをどう認知するか、実はその認知にはばらつきがあって、人それぞれだったりするということが多々あります。
私はこの違いをお互いに受け止めることが、結構大事なことだと思っているわけです。

しかしこういうことわざは多い気がしていて、
未来のことを考える、予測するということ自体までも、
浅はかで愚かなことと解釈する人もいそうです。

というか実際にいる。

「来年のことをいうと鬼が笑う」とも言いますし、
他に調べてみると
「飛ぶ鳥の献立」とか「穴の貉を値段する」なんてのも出てきます。
未来のことを予測するというのは、
どうも古より人としてよくない行いだと咎められているのかとすら思えてきてしまいます。

根拠のないことで調子に乗ってしまったり、
逆に過剰に不安を感じてしまうのを諫める意味ももちろん理解できます。
だからといって、現在のことしか考えないのも極端な話です。

未来の予測をネガティブに捉えるか、それともポジティブに捉えるか、
ひとりでやることならその人の好きに考えれば済む話なのですが、
組織で、チームで考えるとした場合、
そこにギャップがあるのは問題です。

なぜなら、
そう、すっごく揉めて面倒くさくなるからです。

計画を立てる・予測するとは

私は今までも書いてきた通り、
どちらかというと今必要に迫られたことに優先して取り組むタイプです。
未来のビジョンを考えることにも苦手意識があります。
現実的なリアリストのように感じている方もいるかもしれませんが、
実は一方で予想することや計画することは大好きなのです。
根拠やデータを比較したり分析して取捨選択して、
こうなる可能性が高いだろう、と考えるのは楽しい。
競馬好きになるのも納得な気質です。

さて、辞書的な話や私の気質はここらで終わらせて、
以降は私の思っていることを綴っていきます。

マネジメントは基本、計画を達成する、予測を実際に成果として出すために行いますので、
私は皮算用は必ず行います。
実際には皮算用ではなく、試算をするという言い方も使いますが、意図して使い分けてはいません。
私の中では違いはありません。

皮算用(試算)をする際は単なる思い込みではなく、
少なくとも何らかの根拠があります。
定量的なデータの場合もあれば、他社や過去の事例もあるでしょう。
ベテランならではの「勘」だって馬鹿にはできません。
根拠の薄い厚いはありますし、仮定の話もあります。
だから皆で一緒に考えることで精度を高めます。
様々な根拠、観点、見立てを総合して
いくつものパターンを想定し、リスクの程度も考慮して
プランA、B、Cなどを用意して実行します。
狸を取るためには様々な検討を重ねて皮算用をする。
こういうプロセスを踏んでいれば、少なくともネガティブな印象にもなりませんよね。

ほんと言葉尻をとらえた話ばかりになって申し訳ないのですが、
実際の会議だとかでも、言葉尻をとる話が多いんですよ。
だから細かい話を敢えて書かせてもらっています。
販売計画とか財務計画を立てる場合、未来の話になるのでどうしても試算に基づくことになります。
もちろん過去のデータや根拠となり得る数字も出しますが、所詮は過去の話。
その通りにまた再現される保証はありません。
しかし、
「そんな試算したって、取らぬ狸の皮算用ですよね。その通りならなかったらどうするのですか???」
とか言い出す人はいるんですよね。

で、誰かがこれを言い出すと、なぜか「そうですよね。世の中に絶対はないですからね」なんて同調する人も出始める。
そして、最後は
「もっと安全で失敗しない計画を考え直しましょう」
というやり直しになるか、
「もし上手くいかなかったら、あなたが責任を取るんですよね」
なんて起きてもいない責任問題を言い出したり。

じゃあどうすればいいんだよ!って思うこともあったわけです。

結果として皮算用が外れることはあります。
外れることがあるからといって、何もしない、何もチャレンジしないのは
私としては価値がない。
外れたら、外れた原因をしっかりと振り返って次に生かせばいいだけです。

皮算用はシンプルに楽しむ!

そんな経験があったので、
社長になってから特に意識して使った言葉が
「取らぬ狸の皮算用をどんどんしよう!」
でした。
「皮算用している時がいちばん楽しいよね!」
「取らぬ狸を数えてると夢が広がるね!」
「失敗することを考えるよりも、いっぱい狸を取ったときのことを考えよう!」
こんな言葉を雑談はもちろん、
会議でも積極的に発言していました。

「煽るのもいいですけど、結果が出ないとぬか喜びになりますよ」
といった助言もあったんですが、私としては
「ぬか喜びも喜びのうち。喜んでおける時には喜んでおけばいいじゃない」
「結果ぬか喜びに終わったとしても、次の皮算用が上手くなればいいんだから」
と返して皮算用推進を止めませんでした。

こんな言葉を繰り返していると
不思議なもので「取らぬ狸の皮算用」という言葉がうちの会社ではポジティブなニュアンスで使われるようになってくるんですね。
「がんばって皮算用してます♪」なんてセリフが出てき始める。

試算をする時に、ポジティブに上手くいくことを前提に考える習慣がついていくような感じです。
もちろんあやふやな数字だったり、当てにならない勘だけだと皆から突っ込まれるわけですが、それもまた経験のうち。
それはそれで試算に対してポジティブに向き合う空気感は作れたと思っています。

試算を立てて上手くいくという論を皮算用と批判された経験を積んでしまったら、
誰も試算をすることなく、仮説を立てたり、未来を語ることすらしなくなってしまう。
質の良し悪しはさておき、
取らぬ狸の皮算用大歓迎という空気感は
失敗を恐れずにチャレンジするという社風作りに大いに役立ったと思っています。

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