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サウダージ

本日は、ポルトガル語の『サウダージ』ということばを考えてみます。

サウダージは肌感覚で理解することば

『サウダージ』(saudade あるいは サウダーデ)とは、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、といったニュアンスを含むことばですが、そのものすばり言い換えられる日本語の単語は無いとされ、翻訳できない用語と言われます。ことばの意味を云々するのではなく、『サウダージ』という概念を、肌感覚を大切にしてざっくりと理解するのがよいようです。昔慣れ親しんだものの今は遠く離れてしまい、懐かしさ、メランコリックな気分に苛まれている状態、を表現する際に使われることが多いようですが、用途は多岐に渡り、場面場面で推し量る必要があることばのようです。

何度も経験した感情

私は恥ずかしながら、『サウダージ』ということばについての深い理解がなく、今回偶然調べたことで、そういう微妙なニュアンスを含むことばだったのだ、と知りました。

その上で過去を振り返ってみると、「あの時に襲われたあの感情は、『サウダージ』だったのかもしれないなあ」という経験が何度かあったことを悟りました。それは、自分が全く予期していないタイミングで突然襲われることが多く、切ない中にも何となく甘酸っぱい気分と記憶が微かに残っています。たとえば、大学を卒業し、共に楽しい時間を過ごした仲間たちが、神戸の街を去っていく経験は今考えても切ない気分になります。

サウダージは心地好さを含む

私が目にした解説では、『サウダージ』はまた、心地好さというニュアンスも含むと説明されていました。哀しみ、とか、塞ぎ込む、といった、やや後ろ向きなイメージをしていましたが、心地好さというポジティブさを伴う感覚も含んでいる、というのは面白いと思いました。

まだ現時点では、『サウダージ』ということばを適切に使いこなせる自信はありませんが、いずれ修行を積んで、『サウダージ』をテーマにした記事を書けるようにな精進したいと感じています。

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