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旅の記録2023⑦:富岡製糸場
本日は、悪天候の間隙を突き、クルマを飛ばして群馬県の富岡製糸場へ見学に行って来ました。『旅の記録2023』として記録に残します。
なぜ、富岡製糸場へ?
富岡製糸場は1872年(明治5)に明治政府が製糸業の近代化を図るために設立した官営模範工場
官営富岡製糸場の立地選定から工場の設計・建設に携わり、初代の責任者に就任したのは、当時横浜で生糸製品の検査員をしていたフランス人のポール・ブリュナ(Paul Brunat 1840/6/30-1908/5/7)です。1872年10月に操業を開始した後、1893年(明治26)には民営化されました。最新鋭の製糸場として稼働を続け、一時は世界シェアの80%を占めるまでに繁栄した日本の製糸業の発展に多く貢献しました。2014年(平成26)6月に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の産業遺跡の一つとしてユネスコの認定する世界遺産への登録が決定しています。
昨日の夜に慌てて設定した『叶えたい願望 2023下半期』の内、”⑩県外までドライブをする”というノルマを達成することを思い立ち、朝クルマを運転している間に何となく決めました。カイコには薄っすらと興味があり、過去には記事を書いたこともありました。
佐久ICまでは下道を走り、そこから上信越自動車道を使って行きました。途中の横川PAで休憩し、お昼ごはんには、信越本線横川駅名物の「峠の釜めし」と豚汁のセットを食べました。食べ終わった釜は、記念に持ち帰って来ました。
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富岡製糸場
クルマを上州富岡駅近くの無料の駐車場に停め、約1㎞の距離を徒歩で向かいました。門を入ると木骨煉瓦造の東置繭所(国宝)です。1Fで解説のビデオを観て知識を蓄えてから、施設内を歩きます。
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西置繭所(国宝)へと向かう通路の右側に、幹部社員家族用の社宅跡も残されています。繰糸機の動力源として使われたブリュナエンジンも復元版がありました。西置繭所では2Fにも上がれて、繭の保管庫も再現されていました。
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繰糸所(国宝)の中は、広大な作業スペースが広がり壮観です。当時は珍しかったガラスの窓から光が入る構造になっています。当時の作業の実演もされていました。官営工場時代の女工さんの実働時間は8時間程度で、合間に勉強や裁縫などの教育も取り入れられていたとか。民営になってからは生産拡大の号令によって、作業時間がどんどん長くなっていったようです。学生時代に習った女工哀史のような話は、民営時代の話なのでしょう。
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2時間近く、がっつり見学しました。
富岡〜松本
帰りは、国道254号〜142号〜20号と下道を走りましたので、結構時間がかかりました。途中から雨が激しく降り始めたので、岡谷ICから松本までは長野道を使いました。
私見
その場の思い付きで決めた訪問でしたが、想像していたよりも遥かに勉強になりました。同じく世界遺産の対象となっている田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田町)は、今回訪問できませんでしたが、群馬県内各地に絹遺産が散らばっています。「糸都」とも言われる、長野県岡谷市と合わせ、製糸業には興味を惹かれました。
製糸業は、海外から技術を採り入れた後、日本で独自の発達を遂げました。1900年代前半には、日本製の絹糸は世界シェア80%を超える日本のお家芸となり、日本の国力増大に大きな貢献を果たしました。多くの人々の叡智と努力の結集で、登り詰めていったストーリーは現代でも大いに参考にするところがありそうです。
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