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逃走と耕作

本日は、経営コンサルタント・経済評論家の波頭亮氏と哲学者・作家の千葉雅也氏との対談動画(by Newspicks)を観ての感想文です。個人的にかなり刺さった内容が多かったので、ホヤホヤの感情を言語化しておこうと思います。

経済合理性が正解の物差しになると息苦しい

千葉氏の存在は、買っただけで積ん読状態になっている『現代思想入門』(講談社新書2022)で知っていました。今回の対談動画を観て、非常に興味を持ちました。

前半は、現代の日本を覆っている空気感についての意見交換です。両人は、
● ソフトに社会が管理されていることで、却って社会に閉塞的な状況が蔓延してしまっている。
● 経済合理性が正解で、コスパの悪そうな人間や経済効果を生まないような行為がどんどん切り捨てられる風潮が支配的になってきている。

と分析し、コスパ重視の価値観が支配する状況には否定的です。

これから、どう生きるか

ネオリベ的価値観で恩恵を受ける一握りの資本の側と、がっつりシステムで搾り取られる大多数の大衆、という構図は、これから先も大きく変化しないであろうことを前提に、二人は、これからの社会をどう生きるかをテーマに語っていきます。

千葉氏は、「”ワンチャン”に賭けるというギャンブル的な世界に身を晒す生き方には違和感があり、批判的だ」と言います。「”頑張っても報われない”という虚無感が世の中を殺伐とさせている」とも言います。私も「世の中が殺伐としている」という感覚には素直に共感します。

波頭氏は、自分の頑張った分の9割を養分として吸い取られるようなシステムに搦め捕られてしまわないよう、逃走しようとすることは理解できる。しかし、逃走だけしていても幸せになれない。ノマド的な逃走ではなく、自分の箱庭や家庭菜園を作るような耕作の努力をすべき、と言います。

どこかで努力の集積を積まないと、フラフラ逃げているだけではまずい。余裕のない今の日本社会には、逃げているだけの人間を包摂できる余力がない。

波頭氏の発言の抜粋

ネオリベ批判への批判

動画の後半33分過ぎから千葉氏が行う90年代の風潮の解説は見事で、その時代を当事者として駆け抜けてきた私は、大いに共感しました。今は、ネオリベ批判の急先鋒となっているリベラル論客も、当時は一定程度、新自由主義に肯定的だった、という分析は、本当にその通りだと思います。

これからはみんなそれぞれがやっていくんだぞ、という時の、あの感覚にはいいものもあったと思う

千葉氏の発言の抜粋

という意見には激しく同意します。私自身、あの頃、古臭い強固な体質がじわじわと溶けて、新しい時代が到来していくような期待感が間違いなくありました。『今では起業することがバンドやるみたいな感覚』というのは、よく理解できます。合理性を突き詰めると、益々不安定化し、不自由感と閉塞感が強く匂っているサラリーマンという生き方を選択する魅力はかなり落ちています。

努力に対する結果の出方をリニア(直線的)に考えない、ことが大切といいます。横に出る結果を積み重ねることが、豊かになっていく秘訣という考えも面白いと思いました。

努力量を軽く見積もってはいけない

自分は報われていない、恵まれていないと嘆いている人の大半は、目指す結果に対する努力の量が甘過ぎるのではないか、ということでも二人の意見は一致します。努力しても狙った結果に到達しないこともあるから、努力を惜しむ、報われることを前提にコスパのよい努力ばかり追求しようとするのは、やはりさもしい態度のような感じがします。

継続的な努力は、人生を豊かにする…… その信念に対して疑念を持って、退嬰的な気分になっていた時期もありましたが、このシンプルな真理に抗うことは難しいと再認識しました。努力を継続するのはしんどいことであり、簡単ではないことを経験的に知っているので辛いですが、決して諦めてはいけない…… 挫けても立ち上がり続ける…… しつこくやり続ける…… そんな泥臭い行為の繰り返しこそが、人生の醍醐味なのかもしれません。

逃走と耕作は、波頭氏が最後のまとめで述べたことばです。逃走だけでは不十分であり、耕作の作法を身に付けておくことがサバイバル能力に繋がるというまとめになっていました。

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