見出し画像

青春18きっぷの旅 2024夏②:関西【第二日目】

『青春18きっぷの旅 2024夏②』、関西弾丸ツアー第二日目(最終日 2024/7/28)の記録です。


三田→宝塚

前夜は、三田市のザ・セレクトンプレミア神戸三田(旧三田ホテル)に泊まりました。神戸電鉄公園都市線のウッディタウン中央駅にほぼ隣接しており、部屋も綺麗で快適でした。外国人旅行客の急増で、週末の大阪市内のホテルは驚くばかりの価格になっていて、手が出ないので妥協の結果でしたが、結果としてこのチョイスは成功でした。兵庫県出身ながら、北摂と言われる地域については殆ど訪れたことがなく、地理関係も怪しい状況でしたので、今回滞在したことで多少沿線情報についての知見が増えました。

朝は、9時過ぎにホテルをチェックアウトし、神戸電鉄で三田駅へ。三田駅でJRに乗り換え、宝塚線で宝塚を目指します。

手塚治虫記念館

目的は、手塚治虫記念館です。手塚治虫氏(1928/11/3-1989/2/9)は、宝塚で幼少期から青年期を過ごし、「マンガの神様」と言われるレジェンドです。戦後すぐに10代でデビューしてから、生涯漫画の執筆に心血を注ぎ込み、鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』『ブラックジャック』『火の鳥』など数々の名作を生み出してきました。手塚治虫氏なくして、現代の日本漫画の繁栄を語ることはできないでしょう。私は、熱心なファンではないものの、『アドルフに告ぐ』がお気に入りです。

宝塚駅で下車して改札を出ると、ぞろぞろと花のみちを進んでいく女性の大群に圧倒されました。この街のシンボルである『宝塚歌劇団』の公演がある宝塚大劇場へと向かう人波です。ここは、タカラヅカの本拠地だったことに、ようやく気付きました。根強い人気は現在も健在のようです。宝塚という街の強力な集客資源になっている、と感じました。

小林一三の像
宝塚大劇場の門
花のみち

お目当ての手塚治虫記念館へは、徒歩10分くらいで到着しました。火の鳥の像が出迎えてくれます。開館30周年のようです。

手塚治虫記念館①
手塚治虫記念館②
手塚治虫記念館③

松本まで帰る時間を考慮すると、あまりゆっくりできなかったものの、館内で1時間半くらい滞在しました。驚嘆したのは、手塚氏が残した膨大な作品群です。本当に仕事の虫だったのでしょう。彼の名声は、生涯描き続けたことと他を圧倒する仕事量に支えられていたのだと感じます。60歳で病に倒れたのは、長年ハードワークを続けてきたことも大きく影響しているのでしょう。また、いわゆるモブキャラにも一切手を抜かず、一つ一つのキャラに愛情を持って接した律儀さや、未来を担う子どもたちの支援にも労を惜しまなかったことも、尊敬します。

一方で岡田斗司夫chなどで、手塚氏のダークな一面も知っている身としては、「手塚治虫は富士山なのだ(遠くから眺めている分には非の打ち所がなく素晴らしいが、中に入ると......)」という言は、あたっているように思いました。改めて、規格外のことを成し遂げる人物はスケールが違う、と思い知りました。

宝塚→尼崎→京都

宝塚駅近くのレストランで昼食(カレー)を済ませ、まだ正午前だったものの、昨日やって来たのと同じルートで、松本への帰路に就きます。

宝塚線で尼崎へ出て、やってきた新快速湖西線に乗り換えて、京都へ。幸い座席が確保出来たので、新快速電車の快速ぶりを堪能できました。京都駅で琵琶湖線への乗り換えに15分ほどあったので、駅のホームで名物の鶏天うどんもいただきました。

鶏天うどん@京都駅

京都→米原→大垣→名古屋→中津川→平田

米原からは、来たルートの逆走です。米原-大垣間が混雑していて座席が確保できず、約40分立っていましたが、それを除けば、電車の連結も良かったので、途中に大きな波乱を経験することもなく、スムーズに帰ってこれました。

一泊二日を費やしたとはいえ、大半は電車に揺られているだけの移動旅であり、決して有意義なものではないかもしれません。しかし、次の挑戦の機会を探している今の私には、貴重な時間と経験でした。

この記事が参加している募集

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。