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【追悼】ヘンリー・キッシンジャー

ニクソン、フォード政権で、国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を歴任したヘンリー・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger 1923/5/27-2023/11/29)氏が亡くなりました。享年100歳。歴史上の人物と言っても過言ではない人物だけに、逝去の一報に接し、甚だ失礼ながら、「まだ存命だったんだ…」という印象を持ちました。

倒れていた二日間(日記挿入)

月曜日の夜から始まった体調不良は思いの他厄介でした。火曜日、水曜日は会社を休み、家で完全静養する羽目になりました。この為、noteの記事投稿についてもお休み致しました。火曜日朝に抗原検査キッドで検査を行って、新型コロナウイルス感染は陰性であることは確認済でしたが、熱が最高38.8℃くらいまであがり、喉や歯や関節や頭が痛くフラフラしていました。食欲は全くなく、水とアロエヨーグルトだけで過ごしました。私が体調不良時に襲われる症状です。

松本で単身赴任生活を満喫していますが、病気になると一気に不安になり、心細くなります。体調不良になると、妻がリンゴを剥いてくれました。食欲がない時でもリンゴは胃腸への負担が少ないような気がします。、長野はリンゴの産地なのに、私はリンゴの皮を剥けないので、口の中でリンゴの味わいを妄想するだけでした。

ようやく本日になって、完全復活には程遠いものの、仕事に向かうことができました。家族の有難みを噛み締め続けた数日でした。

キッシンジャーとは?

キッシンジャー氏は、まだ歴史的評価が定まりきっていない人物です。1960年代後半から1970年代中盤のアメリカ外交を、理論面(ハーバード大学院で政治学の博士号を取得している国際政治学者でもあります)、実践面でも、主役の一人として、数々の重要な歴史的事件に立ち会ってきました。氏の業績とされているものとしては、①中華人民共和国との和解・国交回復交渉、②ベトナム戦争終結への尽力(パリ協定)、③中東戦争仲介(シャトル外交)などが挙げられ、ノーベル平和賞(1973年)を受賞しています。

「20世紀最大の外交官」という評価がある一方、冷徹なリアリストと言われ、特定の国では毛嫌いされている場合もあるようです。また、太平洋戦争時の広島・長崎への原爆投下は、日本に無条件降伏を決断させるのは、止むを得ない決断であり、本土で一般戦闘を行えば、更に死傷者が増えた可能性があった、というコメントを過去にしています。

歴史上の人物として興味深い人物

20世紀の重要な出来事に、キッシンジャー氏が関わっていたことは事実ではあるものの、氏の歴史的評価については、まだまだ研究の余地がありそうです。米国及び自身の立場から書かれた自身の著作では、実際以上に自身の影響力の大きさを誇示しているのではないか、という批判もあるようです。


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