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旅の記録2024①:津和野

3/1-3の二泊三日で、山陰の小京都、津和野を旅してきました。今回は雪が撹乱要因となり、想定外や波乱も多い珍道中でしたが、なかなか面白い経験のできた旅でした。(これだから、旅はやめられません)旅行期間中の3/1-2は投稿を連続でお休みしていましたが、本日の『旅の記録2024①:津和野』から記事作成活動に復帰します。


前乗りで東京へ、駅で野宿

山陰の小京都と称されることも多く、神秘的で、イメージのよい街、津和野を訪問するプランは、2021年頃からずっと温めていました。残念ながら、コロナ期間で移動手段や宿泊施設の間引きがあったり、松本からの移動の効率が悪くて踏ん切りがつかずタイミングが合わなかったりで、延び延びとなっていました。

これまでにコツコツと貯めてきたANAのマイレージがいよいよ底をつくので、最後の目的地には津和野がいいだろうと考え、休暇を取り、3/1金曜日の朝に松本から東京へと移動し、午後羽田発の便で萩・石見空港から入るルートを2泊3日で組みました。ついでに山口県湯田温泉の中原中也記念館にも足を延ばすことも目論んでいました。

ところが、前日の2/29の夕刻から翌3/1の明け方にかけて、降雪予報が出ていて、中央本線を走る特急あずさに遅延が出るリスクを恐れました。多分大丈夫だろうとの感覚はあったものの、まあ前乗りして東京で飲めばいいか、という判断で仕事終わりの木曜日の夜に移動しました。結果、調子に乗って遅い時間まで飲んで予定外の散財をしてしまい、宿代を浮かす為に、東京駅近くで始発を待つ羽目になりました。こんな無定見で無鉄砲な、凡そ50を超えた社会人がやるとは思えない行動です。まあ駄目な自分もまあ受容れましょう。

銀座のバーにて

3/1 東京→益田

津和野の最寄りの空港、萩・石見空港への移動は羽田15:55発、萩・石見17:30着の便なので、初日は石見エリアの観光はできません。最後の3日目も萩・石見11:00発の便(で、ないと松本まで帰れなくなる)なので、この日もほぼ移動だけでつぶれます。実質中日の3/2だけが観光に時間を割ける日ですが、旅=移動、の私には十分です。

ただ理想を言えば、行きは萩・石見、帰りは宇部山口で手配しておけば、もう少し面白いルート設計が出来たのですが、後の祭りです。旅の計画段階からミスっており、珍道中になる臭いがプンプンしていました。

出発の羽田空港第二ターミナルには、15:00頃に着けばいいので、それまでは東京を楽しむ時間がありました。大好きな神保町の古書街で古本を漁ったり(三冊購入し、旅の荷物となってしまいました)、3月で閉店となる万世本店でハンバーグ定食を食べたり、スターバックスでコーヒーを飲みながら読書をしたり、して楽しみました。

肉の万世①
肉の万世②
スタバで読書

羽田空港から萩・石見空港までは順調なフライトだったようです。「ようです」というのは、昨夜の飲み過ぎで睡眠不足だった為、機内では爆睡している間にランディングしていたからです。JR益田駅近くの簡易のビジネスホテルで連泊することにしており、空港から益田駅までは路線バス(空港ライナー)で移動です。

益田は2年前の萩・宇部旅行時に雪舟関連の施設の観光はしたことがあるものの、宿泊するのは初めてでした。駅近くが飲食店の立ち並ぶエリアとなっていて、人口5万人弱の都市の割に生活インフラはかなり充実している印象でした。とある飲み屋さんでは、地元の常連さんにご馳走になりました。これもまた旅情です。別のお客さんからは、何と中原中也記念館の招待券までもらってしまい、翌朝は始発電車で湯田温泉行きを決めました。

3/2 益田⇄津和野

益田→津和野

連夜の痛飲で身体は疲れていたものの、折角の機会を活かすべく、湯田温泉街にある中原中也記念館に立ち寄るつもりで6:28益田発の山口線に乗り込みました。予定通りなら、湯田温泉駅に9時前に到着します。9時オープンの記念館を小一時間楽しんで引き返せば、昼前には津和野まで戻ってこれるので、最低限訪れたかった①安野光雅美術館②森鴎外記念館・旧邸③津和野城跡をまわり、最終便で益田へ戻ってくる欲張りプランを組んでみました。

ところが、石見横田駅を越えたあたりから、雪が激しく降るようになり、視界も悪くなっていきました。山の区間に入ると、線路脇の竹が降雪の重みで垂れ下がり、電車の運航を妨害するので、しばしば進行停止して、除去作業が行われ、予定の時間から遅延する一方です。ついには、雪が激しくなってきた為、津和野の二つ手前の日原駅で運休することになってしまいました。この時点で予定時刻から1時間半以上の遅延になっていました。

日原駅で運休が決定

乗客は私を含めて7〜8名おり、JR西日本の手配で新山口まで乗合タクシーが手配されることになったものの、到着までに随分時間がかかり、新山口に着いた時点で昼前になるであろうことは確実でした。5名位のグループは自力移動を選択し、早々に去っていきました。

私はどうするか迷ったものの、津和野観光も出来ずに帰ったとなると、ここまで何の為に来たのかわからなくなるので、運良く待機する為に津和野からやって来たタクシーで移動させてもらうことにしました。値段が5000円近くかかって痛かったものの、ここは背に腹は変えられません。

① 安野光雅美術館

タクシーには、津和野駅近くの安野光雅美術館まで送り届けてもらいました。この時点では吹雪のような天候だったので、最悪この美術館だけで観光を終えて帰る覚悟もしていました。

美術館は期待していた以上で、安野光雅先生の絵のファンである私は、大いに満足しました。この雪の中、無理して足を伸ばして良かった、と思える充実感を得ました。幸いにして見学している間に、天候も改善に向かい、時折陽光まで差すまで回復してきました。

安野光雅美術館
安野光雅美術館 外観

② 森鴎外記念館・旧宅

駅からはちょっと離れているものの、津和野出身の著名人である文豪、森鴎外記念館・旧宅も絶対に訪れておきたい場所でした。天候が回復傾向だったので、歩いて向かいました。

景観
高津川

森鴎外(林太郎)は、陸軍医としても出世して医官の最高位まで就いた一方、文学者としても数々の作品を残し、史上に名を刻む偉人です。鴎外の生涯や作品の内容については把握していなかったので、その生涯は大変興味深いものでした。死に際しては、全ての栄達を拒否し、石見の人、森林太郎としての死を望んだと示されています。 

森鴎外旧宅

③ 津和野城跡

城跡から見下ろせば細く蒼い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突

さだまさし『案山子』より

さだまさしの名曲『案山子』で歌われる歌詞の風景のモデルは、街を見下ろすように建っていた、ここ津和野城跡からの景色だと言われます。私はどうしてもこの景色が見たくて、メロディを思い浮かべ、歌詞を口ずさみながら、山頂まで繋がるリフトに乗りました。

ただ、この積雪の影響で、工事中の本丸跡までは上り切れず、途中の出丸跡から見下ろすしかありませんでした。いつか、季節の良い時期にリベンジしたいものです。

④ 太皷谷稲成神社

リフトを降りてしばらく道を進むと、日本三大稲荷の一つ、太皷谷稲成神社の朱色の巨大な鳥居が見えて来ました。

とても立派な神社でした。参拝記念に交通安全守を買いました。赤い鳥居の階段を潜りながら、下山しました。後で調べると、稲荷神社には気軽に参拝してはいけない、という言い伝えがあると知りました。果たして吉となるのでしょうか。

⑤ 殿町エリア

重要伝統建築物が立ち並び、景観保存地区に指定されているエリアは、歩くだけで風情があります。旧藩校の養老館跡には、かつては図書館があり、山田洋次監督作品『男はつらいよ寅次郎恋やつれ』(シリーズ第13作 1974)では、ヒロイン歌子役の吉永小百合が働いている設定です。

風情のある古い町並みはいいものですね。

津和野→益田

駅まで再び戻って来たのが14:40くらいでした。心配だった運休も解除され、平常運行まで回復しているようです。益田行き最終電車までにはまだまだ時間はあるものの、このあたりでぼぼお腹一杯、十分な満足感を感じていました。これ以上は無理しないことに決めました。

次の電車(益田行き 15:20)までは、駅前にある津和野出身の報道カメラマン、桑原史成氏の写真美術館を観て回った後、電車に乗って益田まで戻りました。マクドナルド、うどん屋で夕飯を済ませ、19:00くらいから、外食せずに部屋でぼんやりと過ごしました。

3/3 益田→東京→松本

前日よりは幾分遅く起き、シャワーを浴びて、身支度を済ませ、ホテルの朝食をいただきました。益田市内から萩・石見空港までは、4㎞程度。時間も体力も残っていたので、景色を見ながら高津川沿いに歩くことにしました。

日本一の清流に認定されている高津川は、赴きのある川です。私の好きな俳優、甲本雅裕が主演した映画『高津川』の舞台でもあります。

萩・石見発のANA便は定刻通りに飛び立ち、定刻通りに羽田空港に到着しました。松本に帰るルートは幾つかあるものの、今日は、
羽田空港【リムジンバス】八王子駅【特急あずさ】茅野駅【普通電車】平田
というルートで、ちょっと贅沢に帰ってきました。

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