見出し画像

高知ほっとチャーチの「チャーチ」について〜何をもってチャーチ(教会)と名付けるか?

前回、高知ほっとチャーチの「ほっと」の部分について、名称の由来を聖書から書きました。今回は、少し「チャーチ」の部分についても書いてみたいと思います。

チャーチ、は世界大百科事典によれば、

「現代語で〈教会〉を意味するchurch(英語),Kirche(ドイツ語)などが〈主に属するもの〉を意味するギリシア語to kyriakonに由来し,église(フランス語),chiesa(イタリア語)が〈集会,招集されたもの〉を意味するギリシア語ekklēsiaから来ている」

とあり、単純に言うならば、日本語では、通常「教会」と呼び習わされています。高知ほっとチャーチは「チャーチ」と名乗るべきか?「チャペル」か「集会」を意味するような言葉にするのが適切か?なども考えました。

何をもって「チャーチ(教会)」と呼べるのか?これはプロテスタントの教団、教派によって考え方は様々だと思います。

宗教改革者マルティン・ルターの考えによるならば、教会とは「聖徒の会衆(congregatio)であって、そこで、福音が純粋に教えられ聖礼典が福音に従って正しく執行せられるのである。(アウグスブルク信仰告白第7条)」ということなので、教会のしるしは「みことばと聖礼典」であると言えます。

高知ほっとチャーチも、福音の説教と、聖礼典(聖餐式)が行われています。

さらにもっと遡って、聖書に意味を尋ねれば、ペテロが主イエスを「あなたは生ける神の子キリストです。(マタイの福音書第16章16節)」と告白し、そのペテロの信仰告白に答えて主イエスは「わたしはこの岩(この岩とは、プロテスタントでは信仰告白または信仰告白をする人々、と解する)の上に、わたしの教会を建てます。(マタイの福音書第16章18節)」とおっしゃいました。

この最も素朴な意味においてであれば、イエスを「生ける神の子キリスト」と告白する人々が集まっていれば、それは教会である、と言うこともでき、ペンテコステの日に3,000人が主イエスを信じて洗礼を受けた日よりも、ペテロの信仰告白の瞬間が、実は教会の誕生である、と言う神学者もいるのです。

この主イエスがおっしゃった「わたしの教会」の「教会」はギリシャ語でエクレーシアです。神に呼び集められた人々・群れです。また、主イエスはもともとギリシャ語でお語りになっていないので、その時にはヘブル語(ヘブライ語)の「集会・集い」を意味する「カハル」か、その同義のアラム語でおっしゃったのが実際でしょう。

つまり主イエスにおいては、「教会」も「集会」も区別は無いと考えられます。

その主イエスがおっしゃった最も素朴な意味において「チャーチ」という名称を用いることにいたしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?