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【文書版】なぜミュージシャンを目指した僕がクリスチャンになり、牧師にになったか?

はじめまして。高知で牧師をしています田村隆明と申します。色々記事や動画を上げて行こうと思いますのでよろしくお願いします。どんないきさつでクリスチャンに、そして牧師になったのかを今回お話します。

 私は高知で、浄土真宗の家で生まれ育ちました。と言っても、いわゆる法事の時にはお坊さんが来る、というような、熱心ではなく、平凡なものでした。
 
 私は高校の時、不登校になり、引きこもりになりました。
 
 それは、ひどいいじめに遭ったのもありますが、それは引き金にしか過ぎず、
 
 本当の理由は、「自分の生きている理由が分からない」「自分は愛される価値の無い人間だ」という人生の解けない問いからでした。
 
 私はそれから、音楽がやりたい、ということで、大学検定を取り、東京の音楽の専門学校に進みました。
 
 そこで仲間と一緒に音楽をやっている時は楽しく、そのような人生の問いを忘れることができました。 専門学校を卒業し、音楽制作会社の就職が決まりました。 私は大喜びし、そこに入社しましたが、
 
 そこで与えられた仕事は、当時流行していた携帯電話の16和音の着メロを作る仕事で、
 
 朝から夜中まで暗く狭い部屋でパソコンとにらめっこで働いたのです。
 
 私は仲間と楽しく音楽をやっていた時には忘れていた、「生きる理由が分からない」という思いが再燃していました。
 
 さらには長時間労働が嫌になり、1年間で退社し、高知に戻って来ました。
 
 そこで仕事を探したのですが、
 
 少しだけ障害者施設の職員をしましたが長くは続きませんでした。 その後、変わった募集を見つけました。
 
 チャペルスタッフ兼、牧師見習いというのです。 そこである出会いがありました。
 
 それは、ブライダルの貸衣裳店の社長をしながら、教会の牧師をしていらっしゃるという、大変ユニークな働きをしていらっしゃる方でした。
 
 私はそこで働き、しかし、初めは「真剣にキリストを信じなくても、ブライダルの司式者になれればいい」という意識で働いていました。
 
 しかし「教会の礼拝にも出なさい」「聖書の学び会にも出なさい」ということで、
 
 私は嫌ではありませんでしたから、聖書に触れるようになりました。
 
 そして、この聖書に、私の「人生の問い」に対する答えがあることに気がつき始めていました。
 
 ある時高知で、これは竹島町にある教会だったのですが(今は萩町に移っています)、「特別集会があるから行ってみたら?」ということで行って来ました。
 
 そこには県外からパワフルなメッセージをされる牧師さんが来ていました。
 
 その時に語られたのは、「長血の女」という聖書に出てくる女性の話でした。
 
 12年間婦人病で血が止まらなかった女性、この女性が、イエス様の「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と思い、
 
 その衣に触れたところ、癒された、という話でした。
 
 牧師さんは「この女性のように、ただイエス様にすがればよい。きっとあなたの問題も直していただける」と言いました。
 
 私はその時、「これは僕の物語だ!」と思いました。
 
 というのは、もちろん私はこの女性のような身体の病気ではありません。
 
 しかしどこに行っても治らなかった、「自分は生きていていいか分からない」「自分は愛されるに値しない人間だ」という魂の病を、10何年間かかえていたものですから、
 
 私はぼろぼろと涙があふれ、止まりませんでした。
 
 イエス様が私の罪ーつまりその的外れの人生ーをゆるすために十字架におかかりになって、いのちさえ捨てる程に愛してくださり、
 
 そしてその方が私に生きる意味と目的を与えてくださっていることを知りました。
 
 私は、ブライダルの司式だけをするのではなく、真剣にイエス・キリストを信じ、この方の素晴らしさを伝える生涯を、一生に渡って送りたいと思うようになりました。 それから洗礼を受け、私の今いる教会で開催していた「ニューホープバイブルセミナリ」で3年間学び卒業し、
 
 按手(あんしゅ)というものを受けて牧師に就任させていただきました。
 
 感謝なことに2022年の時点で伝道者生涯16年になります。これからも一生涯キリスト伝道者として生きて行くつもりです。
 
 最後に皆さんに一つの聖書のことばをプレゼントしたいと思います。
 
 その特別集会で読まれた、新約聖書のマルコの福音書第5章34節です。【そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。】
 
 今、身体の病気をかかえていらっしゃる方も、
 
 あるいは心の病をかかえていらっしゃる方もあるかもしれない。
 
 この「すこやかでいなさい」とイエス様があなたに言われる時、
 
 それは、必ずしも「診断名がつかなくなる」という形で癒しが起こるとは限らない。
 
 ある牧師はこうも言っております。
 
 イエス様が必ずその人にくださる癒しは、たとえるなら、足を切断した人が、また足が生えてくるというような癒しではない。
 
 足が無いままで、足がある時よりももっと素晴らしい人生を送ることができるようになる、ということなのですよ、と。
 
 どうぞあなたも、この「すこやかでいなさい」というイエス様の招きに応えて、あなたに罪のゆるしと永遠のいのち・天国の約束を与えてくださるイエス・キリストを信じて、素晴らしい人生を送ってください。心からお勧めいたします。
 
動画版はコチラ↓ひとりルーテルアワー第80回放送 「なぜクリスチャンになり、牧師になったのか」  #教会 #証し #クリスチャン #牧師 


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