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承認欲求=依存 になってる

photo by 深月
(https://twitter.com/DeepMoon_0505)

宗教は嫌いだ 

いや、別に私に影響のないところで
宗教によって救われているのなら
別に嫌いでもないのだが

母は宗教に入っている
特にお金を使い込んだりとか
変な風習もないので問題はない

私は興味が無さすぎて
仏教系なんだけども
何の教えなのかもわからない

それでも嫌いなのは
それの大人達が
大人の都合のよい正論を説いてくる

そんな気がして
それがとても嫌だった

いや、今でもそうか

でも、自分も大人になって
その都合のよい正論ってやつを
おそらく使っているんだろう

宗教へ依存する気持ちもわかる
宗教でなくても人は
何かに依存して生きている

そんな人がほとんどだろう

承認欲求から
芝居を始めただろう自分は
常に何かに依存をしている

依存から承認欲求を満たしている

依存しているなっていう自覚があっても
それをやめることはできない

本当は、
親に本当に承認された
と思いたかったのだろう

大人は本音を隠す
好きにしなさいと言いながら
本当にそうは思っていない

これが正しい

それを隠して綺麗事を言う

それが嫌だった

本当はそんな事ないかもしれない
本当に、好きにしなさいと
思っていたかもしれない

いや、でも私にはそう思えなかった
そう感じなかった

だからそれは
もう私にとっては
そういう事でしかない

親と喧嘩したとか絶縁だとか
そういうあれな人生はない

それでも親との付き合い方がわからない

そのくらいには拗らせている

それでも年月だけは
誰にも平等に訪れて
そして過ぎ去っていく

年齢も重ねる

向き合うべきは
親ではなくて
自分の気持ちだろう

親と拗れて絶縁とかでもなく
ただただ反抗期ってやつを
正しく過ごせなかったのではないか

ずっと向き合えないのは
承認されないことへの恐怖だ

であれば
向き合うのは
まずは自分自身

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