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Endeavourは未完である

Endeavour (努力、と一般に訳される)を使う状況=未完であるということが示されている。

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 チベットの仏教の教え(ダルマ)はタントラ(経)であるため師(グル)からの直接的な伝授で伝えられるという。弟子として師に受け入れてもらえるまでに数年かかることも多いという。その間に、弟子となるべく努力をするのだが、必ず師に受け入れられる保証はない。晴れて弟子になれたとしても解脱に至れる保証も、またない。
 それでも、結果に執着せずに淡々とした努力を続けているうちに、こころは成長する。そのような質の努力が道を求める心を養っていく。元の小さな自分が、広大なダルマに見合う器となるための広がりを得ようと努力する。その過程での行いに無意味なことは一つもない。
 願いが叶わない、結果が出ないと思われても、行いは無意味ではない。それが仏教の「カルマ」である。すでに為された行為の結果としての運命を変えることはできないが、努力によって変えられない運命もまた、ない。

これからの
短き人生に。
これからも
淡々とendeavourできるように。

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