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昼寝をしていたら感情がディスチャージされた話

今朝から胸のところにあった
モヤモヤとした感覚

そのモヤっとしたものを
これまでだったら
「見つめ」「感じ」

それを言語化し
明らかにしよう
理解しようと努めていた


*


それは
どこから来るのか
その正体は何なのか


*


だけど、昨日読んだ本があり
今日はあたらしい試みをしていた


ただただ
呼吸をし


この本にある
エレベーターの呼吸(「鬼滅の刃」みたい笑)
をしながら





身体に意識を向ける
それを繰り返してたいた


そう、


仕事のあいだも
ただただ、呼吸と共に
身体に意識を向ける


そんなのことを繰り返していた
(マニアック!)

*


家に帰り一息つき
午後の日課の昼寝をし


ハッと目が覚めると
何か温かな感覚があった


胸のモヤモヤは相変わらず
そこにある


ちょうどフォーカシングの記事を読みながら
寝落ちしていたので
(ネドじゅんさんづいてる笑)

 https://note.com/nedo_jun/n/nc29a5574935e


そのまま
そのモヤモヤに意識を向ける
ただ感じる


寝起きの頭で
そんな中にボーッと漂っていた


*


そして、しばらくすると
そこから「寂しさ」へと繋がっていった


*


それは私が幼い時に感じた「想い」


「理解されない」という想いへと
繋がっていく


*


私の母は「愛」とか
人のストレートな「優しさ」や「繊細さ」を
どこか嫌う人だった


*


「気持ち悪い」
「女々しい」

そんな風に揶揄する人だった


*


それは母の育ってきた環境によるもので
過酷な環境を弱さを封印し生き抜いてきた
母なりの生存戦略でもあったと思うし


そういうものが
私自身に向けられたわけでは
なかったけれど


多分、生まれつき繊細で(→ツッコミは受け付けません!)
人の想いを感じ取りやすかった私は


自分の中に生来あり
多分 人一倍強かっただろう
そういう

「人を想う気持ち」や「優しさや愛」

みたいなものを
否定されている気がして
出す事ができなかった


*


初めから出さなかったのか
何かを境に出さなくなったのかは
もはや わからないけれど

「それは受け入れられないもの」

そんな風にどこかでインプットされていた


*


やがて、大人になり

そういうものこそ
自分が大切にしたいものだったんだと
やっと数年前に気付き

その思い込みを少しずつ手放し
様々な挑戦と共に繰り替えていったけれど

今日、昼寝から目が覚めた時


その胸のもやもやは
「受け入れられない」という感覚と繋がり


「母に受け入れて欲しかった」
という想いへと繋がっていった


*

そう。
共感はしてもらえなくてもいい

わからなくてもいいから

ただただ
「あなたは、そう感じるんだね」


「その感覚は私にはわからないけれど
でも素晴らしい事だね。素敵なことだね」


別に 褒めて欲しかったわけでもなくて
ただただ、その存在を認め
受け入れて欲しかった


自分の中では もう
受け入れ、変化したと思っていた
そんな想いがぶわっと思い出されていた


そして、おもしろいことに


胸のモヤっとしたような
じんわりとした感覚と共に


温かなものが
もっと大きく
身体を包んでいた



それは大きな愛のような


「寂しかった想い」とともに
また 同時に在る
「温かなもの」


それは世界を包み込むほどの愛    


「寂しさ」もある
けれどまた
「温かさ」もある


涙が流れる


悲しさのような
喜びのような
感動のような
   

それは放出


感情というエネルギー(電気)


そこに帯電していた
エネルギーの放出


ただただそれが
放出されていく


私の想い
みんなの想い


そういうものが
温かく大きなものに包まれていく


寂しさもあっていい
悲しみもあっていい
それ以上に愛がある


すべては同時にある


だから安心して
すべての感情よ

どの感情も
大切な私の子ども


だからただ
そのままに
そこにいよう


みんなそう
大切な
大切な存在だから


*


何目線?

と我ながら突っ込むしかないけれど
言葉にするとそんな感じの

そんな想いに包まれ

涙だけが止まらなかった


*


その後 買い物の帰り
ふっと気付くと
胸のモヤモヤはなくなっていた


いつも眩しい西陽が差す
スーパーの帰り道

差し込む日が
世界が美しすぎて


涙がまた止まらなかった

#ネドじゅん
#感情の放出
#世界はこんなにもうつくしい

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