やさしさとは、人の力を生かすこと。エンパワーする依存関係のすすめ
「やさしさってなんだと思いますか」とよく聞かれる。私たちの企業理念は「やさしさでつながる社会をつくる」だし、バリューには「やさしくある」と真っ先に書いてある。先日のイベントでは、こんなことを聞かれた。
「イチローが、厳しさが優しさだと思うから、自分は厳しくすると答えていました。やさしさって、どんなことだと思いますか。」
きっと、イチローのこの言葉を引用してくれたのだと思う。
そしてそんな時、わたしは「やさしさとは、人の力を生かすことだと思います」と答える。イチローが言っていることと、大きくは違わない気がしている。
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人と人との関わりには「相手の力を奪う関わり」と「相手の力を生かす関わり」の二種類がある。
「相手の力を奪う関わり」は相手に無力感や傷つきを与え、答えを与えてできることを奪う。
誰から見ても明らかに暴力的な関わりであればまだましだ。時として、それはあたかも「あなたを守る」「あなたを大切に思っている」というメッセージとして発せられる。
「私があなたを支えてあげる」
「私があなたの側にいてあげる」
「私が答えを与えてあげる」
あたかも「あなたのため」のように発せられるそのメッセージの中に忍ぶ「あなたには無理だから」「あなたは重要な存在ではないから」「あなたにはわからないから」は、少しずつ私たちの自己効力感と変化や学びへのエネルギーを奪っていく。
奪われる人たちは「自分は無能なんだ」「この人がないと生きていけない」「自分は傷ついて当然の存在だ」と考えるようになる。
このプロセスは麻薬のような依存物質とも似ている。瞬間的な快楽を与えながら、その人が長期的に成長していく力を奪って、その人なしには生きられなくしていくのだ。
甘やかしや、本人のニーズに短絡的に答えることは「やさしさ」ではない。それは、その人の力を奪ってしまっているのかもしれないのだ。
イチローの「ただの優しさはもう、何にも優しくないですからね。障害にしかならない」と言う言葉に現れる「ただのやさしさ」は「相手の力を奪う甘やかし」なのだと思う。
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「相手の力を生かす関わり」は、相手を信頼し自己効力感を生み、傷を癒し、問いを与えてできることを増やす。
その人が持っている力を信頼し、傷ついているときには安全な場所を提供し、再び立ち上がることができるように支援する。答えではなく問いを与えて、その人が考える力や答えを発見する力、自分で解決する主体性を育てる。その人の「できること」を見つけて、それを伸ばすための支えを提供する。その人に何が見えていて何が見えていないのかを察知し、自ら気づけるように導く。
そうすると、人は傷から回復し、「自分はできる」という体験を積み重ねることができる。「自分には力がある」と信じ、前を向くことができるようになる。
このためには、相手がどのような傷を負っていて、どのような力を持っていて、何をすれば癒しを感じられて、何をすれば前に進んでいけるのかを推しはかる知性と想像力が必要だ。
それこそが「相手の力を生かすこと」であり「やさしさ」だと思う。
そうして相手が育っていくことは、関わる側にとっても嬉しいことだ。子供を育てる親、部下を育てる上司、起業家を育てる投資家。子供が立派になるとか、部下が育ってチームの成績がよくなるとか、起業家が育って投資成績がよくなるとか、結果的に自分自身にとっても嬉しい結果がもたらされることにもなる。
わたしはこうした関係性、つまり「お互いを必要とし、共にいることによってお互いの力が生かされ、そのこと自体がお互いの喜びになる」関係性を「エンパワーする依存」と呼んでいる。
自分のエゴを主張してリソースを奪い合う関係性ではなく、お互いが成長することを共に喜ぶ関係性。
責任や愛を押し付け合うのではなく、一緒にいるとどんどんお互いの可能性が広がって成長していくような関係性。
大切な人たちとは、そんな関係性でいられたら幸せだ。
自分は相手に期待して「奪う側」になっていないか。逆に相手に翻弄されて「奪われる側」になってはいないか。そして何より自分は、相手の力を生かす存在であれているか。
いつだって問い直しながら、やさしさをくれる人に感謝の気持ちを伝え、それをきっかけに「自分も人を支えられる人であろう」と決意するような、やさしい連鎖が生まれるといい。
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