母と頸髄損傷その3

転院先の病院とは話をつけてくれてるものと思っていたので

「じゃあ これから受け入れしてくれるか確認しますね!」と言われたときはすごく不安でした。ちょうどコロナがやばくなりはじめたかも・・という時で あまりコロナで拒否とかは考えていなかったのですが とにかく肺炎はしっかり治ってないと受け入れできないとのこと。

母は 肺炎のケアだけされてすごく不安がっていたし私と妹も限界でした。

当時 働いていた派遣先で 派遣社員の先輩に話していて大泣きしてしまい先輩ももらい泣きしてくれて 給湯室がみえみえの会社なのにすごく変な人になってました。

派遣先の近くに 烏森神社があり 朝会社に行く前とお昼休みにお参りに行き 「早く転院できますように」「手術もリハビリもうまくいき元通りの体に戻れますように」とお願いしていました。

ある日 お昼休みにお参りに行こうと歩いていたら着信・・。妹から!

「転院できるって連絡あったよ!でも大部屋が空いてなくてとりあえず個室になってしまうらしいけどこれを逃すといつ転院できるかわからないんだって。空いたらうつれるらしいし お願いするしかないよね?」

そりゃそうだよ!

そのあとはもう早かった。病院で転院用のストレッチャーの乗れるタクシーの手配はしてくれるので 荷物もまあまあるので朝は早めに来てくださいということで この日は有休をとりました。いま思うと こういう急な休みをとるのが派遣先にいやがられたかなあ~説明はしたんだけど 派遣社員に対しては都合よく働けるかどうかを(休みはなるべくとらない)求める社員さんが多い気がします。そういう 派遣社員を下に見る風潮がなくなるといいなと思う。

朝 妹と病院まで20分かけて歩きながら なんか手土産渡したほうがいいかという話になって 母が お見舞いにいくたびに感謝の気持ちを話してくれたフィリピン人の看護助手の方にはなにか渡したいよねということになり ちょうど時期的にバレンタインだったのでファミマでかわいいチョコを買いました。で ナースステーションになしはないかと箱のクッキーも。

母の病室にいくと そのフィリピンの方が 夜勤明けなのに 母が転院するからと勤務時間を延長したのかかいがいしく荷物をまとめたりしてくれていた。チョコを渡したらすごく喜んでくれた。

日本人と結婚して 離婚して お子さんを3人育てるために 看護助手とコンビニでも働いている方らしかった(母談)明るくて優しくて本当に癒されました。多分読んでないと思うけど ありがとうございました!

「むこうの病院でもぜったいいるからつかってね!」

別れ際に ボックスティッシュとピンクのプラコップを荷物のなかにいれてくれて・・。

ついに頸髄損傷の治療です!!


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