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余計なことを言ってくる人が苦手。

わたしは、とっても忘れっぽい。

とは言っても、覚えておかなければならないことは忘れない、自分でもよく分からない脳内構造をしている。

いつの頃だったか、「記憶が自分の人生のネックになっている」と気づいたことがあって、「無駄にあれこれを記憶するのはやめたい」と毎日願っていた時期があった。

果たして、その結果として現在の都合のいい脳内になったのか、それとも、本来もっているキャパが人よりも少なくて、結果的に良かったというだけの話なのかは、わからない。


先日、知り合いと話していて、わたしは不快な気持ちになった。

当の本人は、自分がわたしを不快にさせているだなんて、気がついてはいない。

なぜなら、わたしは「それを言ったところで、微塵もダメージを受けないタイプの人」であると思われているから。

しかし、本当のわたしは、そういうことを気にするタイプの人間である。

「わたしはそういうの、全く気にしませんけどー」っていうキャラの演技がうまいだけ。


特に親しい間柄ではないので、わたしも特に指摘はしない。

しかし、その人と会って家に帰った後、猛烈にイライラしている自分に気がついた。

「これはなにごと?」

と自分に聞いてみると、原因はやっぱりこれだった。

【過去のわたしのミスを茶化されたこと】

しかも、ミスと言えないほどのちっぽけな内容のやつ!!


わたしは、自分の過去のミスをあーだこーだと言われるのが、とても苦手だ。

この思考は、親との関係性で培われてきたものかもしれない。


「なんのために【次の日】があるんだよ!」

「反省はするけど、そのミスによって人は成長するんじゃないのか!」

「過去の話をわざわざ蒸し返してきて、人を不快にさすんじゃねー!!」

と、全力で言ってやりたくなる。

その話をして、誰かがハッピーになったり、温かい気持ちになるようなエピソードなら大歓迎!!

しかし、「それダレ得やねん!」とツッコみたくなるような話をチョイスしてくる相手と一緒のときを過ごす時間は、わたしとって「苦痛」でしかない。

だから、家に帰ってきた途端にそのストレスが大爆発してしまうのだ。

「待ってました!」とばかりに、自分からダークな【気】が出始めているのがわかる。

そういうときは、【現実逃避タイム】を作って、自分の気が落ち着くのを待つことにしている。


個人的には、「明確な悪意をもって言っている」とかのほうが、まだマシだ。

これはもう、社交辞令で乗り切るしかないやーーつ。


こうやって、過去のこと蒸し返してくるタイプの人は、総じて【記憶力がいい】のではないだろうか。

脳がきちんと覚えてくれているからこそ、相手に対して「あのときのあなたは、こんなんだったよね」と詳細な指摘ができるのだ。


わたしは、他人のミスとか、正直どーでもいい。

全く関心がない。

覚えていて、なんのメリットがあるのだろうか。

自分のミスだって、その時はめちゃくちゃ落ち込むと思うけど、数か月ほど経過したら、もうそれは、「なかったこと」になっている。

「あのとき、あんなことあったよねー?」と言われても、覚えていないことさえある。

自分が本当に覚えておきたいと思うことは、言われなくても覚えているものだ。


だからわたしは、過去のミスを蒸し返してくる人が苦手だ。

ついてに、お節介な人も苦手。

すべてをひっくるめると、結局は「価値観の違い」ということになるのだろう。

どれだけ記憶力がよくても、それを実際に【口に出すかどうか】は、その人の判断に任されているわけだから。


「自分がストレスを感じる相手からは、可能な限り距離をとること」

これを、人生における課題のひとつとしているわたしとしては、この事態は早急に対策しなければならないと思っている。

だって、自分のことは自分で幸せにしてあげたいから。

よーし、がんばるぞ!!

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