Ingressが危険だと思った件(1)陣営対立がヘイトを生む

「Ingressは危険なゲームだぞ!」
私が開始一週間過ぎたときの率直な感想だ。とにかく負の感情を増幅させる仕組みにあふれている。

「自分が負の感情を発揮し、ゲームに取り込まれないこと」「のめり込んでいる個人から距離を置くこと」「自分が納得していない限り、陣営の手駒にならないこと」を金科玉条とすることに決めた。

まず陣営がたった二つ。取るか取られるかのゼロサムゲーム。ドンパチすれば敵陣営のマッチアップしたエージェントに「あんちくしょうめ」という感情が芽生えるのは当然だ。ご丁寧に攻撃がゲーム内通知板「COMM」と、自身への攻撃「ALERT」で通知される。

あるAGが「自宅周辺が敵陣営の色だと寝られないので夜中でも破壊しに行く」と聞いたとき「それはあなたの業務ではないよ」と思い、いや待てよ「その人にとっては『日常業務』なのだ」と思い直した。

目障りな敵陣営のあいつらという感情は、強固な陣営内の同胞意識をはぐくむ。「青はテキ!緑はミカタ」「緑はテキ!青はミカタ」なロールプレイも、何度もやっていると刷り込まれてくる。

地域陣営コミュ(IEY=Ingress ENL Yamanashi)に入って、ゲームにはまっているセンパイたちを見て思ったのが、看守/受刑者の役割が本当になった「スタンフォード監獄実験」だった。

「オレ、この人たちと同じく、敵陣営へのヘイトと、自陣営マンセーの気持ちを募らせたくないな」と思った。そして、どこでも、誰でも起きうることだろうと思い、ひそかに戦慄した。

浦沢直樹「モンスター」の「なまえのないかいぶつ」の様に、Nianticは対立構造で、人間の憎悪をゲームで直接対峙させていると思った。

「大規模社会実験」は字句通り行われていたというのが私の感想。
「人間は対立構造下で、ポータルという守るべきものを与えられたとき、執着心や対抗心で、如何に個人として/組織としてふるまうのか」の心理学的知見を得るために作られたゲームだと思うのだ。ビッグデータ化している行動のパタンは、人間の本性の一面を示している。

その後の私は、なるたけ陣営対陣営の対立にコミットしない様に心がけた。コミュニティ内では雑談に徹した。地元の復旧にのめり込む地元のセンパイたちを横目に、私はGoogle+(SNS)ならば、ゲームにのめり込んでない、Ingress AGがいるはずと思った。全国にも陣営キャラを自任する方が多かった。

その中で「ミッションが好きな人」「不審者カードを集めている人」「献血を呼び掛けている人」「歴史好き」「メディア収集」「被り物」など、陣営から離れた遊び方をしている人も知り、自分はそっちの人間かなと思い今に至る。